HSS型HSP🌏Millieの脳内世界

いらっしゃいませ。お好きな記事へどうぞ。

  

Happy New Year.
I sincerely hope that 2025 will be a good year for all of you dear ones.

あけましておめでとうございます。良いお年を!

港区散歩:新橋~赤坂見附❺虎ノ門ヒルズから猿寺(杉田玄白墓所)へ


この記事から続いています。



愛宕神社の裏手(表参道=出世の石段 の反対側=西側)には愛宕新坂と呼ばれる坂があり、少し下ると虎ノ門ヒルズレジデンシャルタワーの2階と道が繋がっています。


 



ヒルズの二階に入るとすぐに裏側のエレベーターを降りました。


栄閑院(通称・猿寺)に行くためです。


人影のないエスカレーターを降りると、そこだけ地上げから取り残されたように数軒の民家が残っていました。


綺麗な首輪をつけた毛艶の良い三毛猫様が散歩されていました。
奥に飼主さんらしき人影もあったので、猫様の写真は撮れませんでした。


               


見上げると、聳え立つ虎ノ門ヒルズレジデンシャルタワー.
54階建て220m。



ここが久遠山栄閑院(通称・猿寺)です。


                     


杉田玄白(1733~1817)は江戸時代の蘭学医で「解体新書」の著者です。


境内には確かに狛犬ならぬ狛猿がいらっしゃいました。


雌(左)は桃(不老長寿の象徴・仙果)を持っています。
ふたりともなかなかいいお顔をしています。


 


「猿寺」という愛称がついた由来を調べてみました。


寛永年間(西暦1624~1643)に猿回しに扮した泥棒が当時の住職に改心させられ、泥棒を辞めると誓い、諸国行脚の旅に出ることになりました。

泥棒が住職の元に残して行った猿は寺の人気者になり、人は栄閑院を「猿寺」と呼ぶようになりました。


杉田玄白が亡くなったのは1817年6月1日。
お猿のエピソードよりずいぶん後です。


「杉田玄白先生墓へお参りの人はご自由にお入りください」とあります。



思ったより小さなお墓でした。


               


ここから神谷町駅を経由してアークヒルズを目指しました。


続きます。