今日は何の日>12月15日:力道山命日
一昨年は「観光バスの日」をご紹介しました。
昨年は「年賀はがき受付開始日」をご紹介しました。
今年はこちらをご紹介いたします。
力道山命日
プロレスラー・力道山(りきどうざん/本名:百田光浩 ももたみつひろ/1924~1963)氏の命日。
力士として活躍後プロレスラーに転向し、1953年に日本プロレス(1973年に全日本プロレスと統合)を設立。
同年日本でテレビ放送が始まったことが追い風となり、プロレスブームを起こす。
よく昭和史で紹介される「街頭テレビの力道山のプロレス中継に群がる人々」。
アレです。
画像はNHK(左)とWikipedia(右)よりお借りしました。
1963(昭和38)年12月10日、港区赤坂のナイトクラブ内で暴力団構成員と些細な口論から取っ組み合いの喧嘩となり、ナイフで腹部を刺される。
呂律が回らないほど泥酔した揚句、力道山氏の方から「足を踏まれた」と言い出したのが発端の喧嘩だったため警察沙汰を嫌がり、救急車は呼ばず、自分がツテを持つ山王病院に入院。
山王病院は、当時は産婦人科が主要診療科目。
そのため外科手術にあたっては聖路加病院からわざわざ外科医長が招かれて執刀するも、5日後の12月15日に化膿性腹膜炎で死去。
⇩今もある山王病院⇩
現在でもいわゆる一般外科はなく、女性医療センターが有名。
なぜ最初から外科に強い病院に入院しなかったのかと疑問に思うところです。
山王病院の当時の院長が力道山のタニマチ(後援者/無償スポンサー)だった関係で、警察やマスコミに知られたくない極秘入院には都合が良いとの判断だったようです。
周りは、同じ赤坂の前田外科(外科の口コミが良かった)の方を勧めたが、力道山氏が聞き入れなかったと言われています。
⇩現在もある前田病院⇩
現院長で4代目(曾祖父・祖父・父・息子)。
今でも一般外科が強みの様子。
また聖路加病院外科医長の手術が失敗したわけではなく、手術自体は成功していたようです。
しかし容体が急変し、腸閉塞からの急死に至ります。
完全に回復するまでは飲まないよう指示されていたアルコールを隠れて飲んだのが腸閉塞の原因という説もあります。
遺体は死亡翌日に慶応大学病院で司法解剖され、穿孔性化膿性腹膜炎からの敗血症性ショックと公表されました。
もういっそ最初から救急搬送を頼んで慶応大学病院に入院すればよかったのに…。
<教訓>
餅は餅屋。
病院は適切に専門医にかかり、医師の指示は守りましょう。
享年39歳。
早すぎる死でした。
葬儀は東京都大田区にある名刹・池上本門寺で行われ、お墓も同寺にあります。
画像は二点ともフォートラベルよりお借りしました。


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