初詣1月4日㊃鈴降稲荷・道教寺・末広稲荷(東京都港区赤坂)
あんまり駆け足で次々と公開したので、ゆっくりと再公開します。
初公開:2025/01/07 07:00
㊂から続いています。
鈴降稲荷神社
赤坂サカスの裏手にある、鈴降稲荷神社。
鈴振(鈴を振る)かと思ったら、鈴降(鈴が降る)です。
どういう状況でしょう⁉
光線の具合で暗い写真になったため、右の鮮明な画像はトリップアドバイザーよりお借りしました。
どう見ても私有地(マンション)の敷地内ですが、立入禁止標識や足止めコーンなどはなかったので、参拝自由と判断してお参りしました。
こんなに小さいのに、徳川家康ゆかりの神社です(!!)
京都本能寺で明智光秀の氾濫により織田信長が死亡した時、家康は信長の同盟者として、目と鼻の先の堺に滞在中でした。
次は自分が狙われると恐れ、一度は自害を覚悟した家康。
しかし家臣に説得されて思い止まります。
伊賀衆・甲賀衆(いわゆる忍者)の護衛に助けられながら伊賀の山中を抜け、伊勢に出て、船で自領・三河に逃げ帰ることに成功します。
後に「神君伊賀越え(しんくんいがごえ)」と称された脱出劇です。
NHK大河ドラマ「真田丸」では第7話にこの「神君伊賀越え」にのシーンがありました。
画像はスポニチよりお借りしました。
伊賀越えルートの画像は読売新聞よりお借りしました。
家康の江戸入城に際して、召し抱えられた伊賀衆(伊賀忍者)たちは四谷に居住地を与えられました。
伊賀越えの道中で家康が持っていた護符の神鈴を祀るために、伊賀衆が四谷中殿町に建立したのが、この鈴降稲荷神社だそうです。
1608(元禄8)年に四谷中殿町が江戸幕府の御用地に決まったため、この赤坂一ツ木を代替地として支給され、移転したということです。
こんな小さな祠にそこまで凝縮された歴史があったとは。
いやいや、驚きました。
道教寺
光闡山道教寺は1598年(慶長3)年に創建された浄土真宗大谷派の寺院です。
1635(寛永12)年に現在地に移転しました。
いわゆる道教(中国で民間信仰を基に生まれた民族宗教のひとつ)とは全く別物です。
末広稲荷神社
薬研坂からコロンビア通りに入った所にひっそりと佇む小さな社です。
創建も由来も一切不明。
1923(大正12)年の関東大震災で崩れ落ちて一時途絶。
1965(昭和40)年に東京鰹節類卸商組合によって再建されたという話です。
しかし小さな祠ながらお掃除が行き届き、とても明るい神社でした。
ここから、この一帯では最も有名な山王日枝神社に行きました。
㊄に続いてます。

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