HSS型HSP🌏Millieの脳内世界

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38年前の初渡英の昔話〜シニアロンドン一人旅

Millie Endo


38年前、23歳で初渡英した時、私はオープンジョーの航空券を選びました。


行きは東京ーパリ。

パリに1週間滞在後は、自力で英国入り。


具体的にはカレーから英仏海峡を渡る船でドーバー上陸。

そこからバスでロンドン入りするルートです。


当時は英仏トンネルなどまだありませんでした。


しかし、地元の佐⚫︎のJT⚫︎のカウンターで、相場を尋ねるつもりで


「パリINロンドンOUTのオープンジョーで、なおかつ半年有効のOPEN(復路の日程変更が可能という意味。変更不可のものはFIXという)の航空券オンリーはおいくら万円?可能なら帰路に香港か台北で2〜3泊ストップオーバーできたらなお結構ですが」


と聞いた時の、女性社員の思いっきり怪訝な顔(何言ってんだこいつ?ちょっとおかしい人ではないのか?と顔に書かれていた)は今でも脳味噌に直に印刷されたように映像記憶で鮮明に覚えてます。


彼女は、問題児に教え諭すような、上から大きく振りかぶった口調でこう言いました。


⚫︎TB「それで、お客様がご訪問なさりたいのは、一体パリでしょうか?それともロンドンでしょうか?まずはそこを、はっきり決めていただけませんと!」


お話になりませんわ!!という勢いでした。


え?だからパリINでロンドンOUTって言ってるじゃないですか、と言っても通じない。


いや、もうほんとこんな感じ。


 ©︎庵野秀明


何せまだバブル景気すら始まる前。


日本人の海外旅行といえば、JALパックかJTBの完全パッケージツアー(全泊全食付きで大人数で旗に付いて歩く・フリータイム無し)がほぼ全ての時代です。


その前年にHISがようやく第一種旅行業登録を果たしたという頃です。


西新宿の雑居ビルの一室でHISが売る個人向け格安海外航空券を、JALやJ⚫︎Bは露骨に敵対視していました。


「団体用割引航空券を違法にバラ売りしているものです」


「航空会社によっては、個人使用が発覚すると、搭乗拒否をされる場合があります」


「危険なので、正規チケットを買いましょう」


などといったネガティブキャンペーンを真っ向から張ってました。


うん、そんなネガキャン張ってる牙城で聞くことじゃなかったですね。


パッケージツアーでは、ロンドンからの帰り道に乗換地でついでにストップオーバーなんてしませんものね。


というわけで、私は大人しくJT⚫︎佐⚫︎支店を後にして東京の、当時は西新宿の雑居ビルの一室だけで営業していたHISに行って、全く同じことを聞いたのでした。


幸い、話は100%通じました。


HIS「成田ー香港はキャセイ航空、香港でカレドニアン航空に乗り換えて南周り、ドバイで給油ストップする便ならありますよ。香港ですストップオーバーが可能です」


私 「は?ドバイ?初耳ですが、どこの国ですかそれ?」


まだドバイの日本での知名度などゼロだった頃の話です。


ドバイで高層ビル建設が始まったのは2000年前後から。

日本で紹介されるようになったのもその頃からです。


HIS「アラブ首長国連邦です。給油ストップだけだから空港の外には出ませんし、何ならずっと機内にいても構わないから、危険はないでしょう」


私 「じゃあそれください」


HIS「ホテルはどうしますか?」


私 「現地で安宿探すので、いりません」


これも、たまたま飛行機で乗り合わせた日本人ビジネスマン(出張族)に思い切り否定されましたっけ。


BM「いや、海外のホテルは旅行代理店を通すことで割引価格で予約できるんですから、個人で予約無しで行ったら正規料金でしょう?安く泊まれるはずなどありませんよ!」


私 「でも、日本から予約できるのは三つ星以上の高いホテルじゃないですか(当時はそうでした)。私はユースホステルのドミトリーでも構わないので。ドミトリーなら正規料金でも三つ星ホテルの割引価格より遥かにお安いですよ」


BM「はあ?ユースホステル?十代の学生が泊まるとこでしょうそれ?」


ちなみに私は6年前、55歳で行ったウラジオストク(ロシア)でも、ユースではないですがドミトリーのホテルに泊まりましたよ。


ネット予約で1泊2,500円くらいでした。


一部屋ごとに二段ベッドが6台ずつ置いてあって、共同トイレ共同シャワー共同キッチンの。


50〜60人いた宿泊客の中で40代以上は私だけ。

ぶっちぎりの最高齢宿泊者でしたが、それが何か?


ウラジオストク画像は自前です。




ちなみにカレドニアとはスコットランドの旧名称です。


日本を大和とか秋津島というようなものです。


ニューカレドニアは今でこそフランスの海外領土ですが、この島を「発見」したのは英国人冒険家のトーマス・クックでした。


景色がスコットランドに似てる気がする、という実に主観的な理由でクックが付けた名前が「ニューカレドニア」です。


英国人は、アメリカ大陸でもニューヨーク(ヨークはイギリスの地名)だのニュージャージー(ジャージーもイギリスの地名)だのニューハンプシャー(ハンプシャーもイギリスの地名)だのと付けてますよね。


このカレドニアン航空(正式名称はブリティッシュ・カレドニアン航空)は、私が乗った翌年の1988年には英国航空に吸収されて無くなってしまいました。


日本に乗り入れてなかったため、私が今まで会った旅人系日本人の中でも知ってた人は皆無。


今でこそ辛うじてWikipediaに項目が存在するので、私の夢じゃないと証明できますが、Wikipediaができるまでは


本当にそんな航空会社ありました?(記憶違いでは?)」


と言われてましたよ。


ダラダラと長くなってきたので一旦続きます。





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