HSS型HSP🌏Millieの脳内世界

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It is getting hotter.
Be careful not to eat too much cold food.
This year's ducklings will hatch soon.
How many ducklings will we see ?

自己紹介>HSS型HSPは多分父方祖父からの遺伝❷多趣味な人でした

初掲載 12/9 15:00


アクセス少なめなので再掲載してみます。
よろしくお願いいたします。


☺️  ☺️ ☺️ ☺️    😉



❶はこちらです。


父は祖父を嫌っていました。


「爺さんが何度も職を変えるのが恥ずかしくて嫌だった。だから俺は堅く生きるぞと思って、一生安泰で尊敬される公務員を目指した」
と言っていました。


※父は祖父を「父さん」とは呼ばずいつも「爺さん」と言っていた。


The 公務員。


祖母はこう反論していましたが。


「職は変えても家族ば金には困らせんやった。息子全員(3人)大学までやって、土地ば買うて家も建てた。学費ば全部父さんに出してもろうたくせに何ば偉そうに言いよるか💢」



祖父は農家の長男でしたが、祖父を産んだ生母がすぐに亡くなり後妻さん(継母)が来たため、弟妹は母違いでした。


その継母と折り合いが良くなかったらしく、結局異母弟が跡を継いでいます。
祖父は遺産らしいものはほとんどもらっていません。
土地を買ったり家を建てる時も、援助は一切なかったようです。


裸一貫で家庭を持って家を建て、自力だけで妻子を養ったのです。
転職回数は多かったにせよ、経済的な支障は発生させませんでした。


ならば父の言い草に祖母が腹を立てるのは無理もないと、子供心にも思ったものです。


孫の私から見た人間的魅力は、残念ながら父より祖父の方が圧倒的に上でした。


零細企業しかない田舎では、公務員というだけで少し持ち上げられたりします。
父母は夫婦ともども公務員ということで近所では表面上は持ち上げられていました。


反面父は特にこれといった趣味がなく、他人との話題もその日のNHKニュースが報じた内容ぐらい。
その報道に対する意見もほぼアナウンサーの論調を繰り返すだけ系の、面白味のない人でした。


祖父は学歴こそありませんが、多趣味で話題が豊富でした。
手先が器用で、その辺の木などでおもちゃを作ってくれます。絵も描けます。


「多趣味な人」いらすとや。


私が男の子向けの特撮やロボットアニメばかり観るのを、母親は「女の子らしくない」
と嫌がっていましたが、
「テレビくらい好きなものを観せろ❗️」
と言って、母の嫌がるマンガ雑誌を買ってくれるのも祖父でした。



料理も上手で特にカレーが得意でした。
競馬が好きで、私も低学年のうちまではよく競馬場に連れて行かれました。


母が「小学生が競馬場に出入りしよったら、補導さるっですよ❗️❗️」と騒ぐので
面倒くさくなった祖父が連れて行ってくれなくなった時は心底がっかりしました。


未成年者が禁止されているのは「馬券の購入」のみです。
競馬場への入場自体は何の問題もありません。
もちろん入場しただけで補導などありえません。


母はこういう思い込みによる誤情報をよく流す人でした。


祖父は孫の私が他の子供と少々違っていることも面白がっていました。


父母は少々規格外の私(と、実は妹も少々)を
「この子たち本人のために」「(規格に合うよう)矯正すべき」と言っては
祖父に却下されていました。


孫の育児をジジババに丸投げして楽をしていた父母でしたが、これはまずいと思ったのでしょう。
ふたつ下の妹が小学校に上がったタイミングで、子供を取り戻そうとしました。


妹はまんまとそれに乗って父母側に移りましたが、私は祖父母側にとどまりました。


結果だけ申し上げます。


突然不自然な型にはめられ矯正された妹は、中学くらいから抑鬱状態と思える様相を見せ始め、大学入学と同時に心に変調をきたしました。

統合失調症です。
30近くまで引きこもる結果となりました。


私が不登校にも引きこもりにも鬱にもならなかったのは、祖父母のおかげです。


私は祖父母の希望で一旦地元で就職しました。
しかし間もなく二人が相次いで亡くなると、さっさと退職して上京しました。


東京で就職した私は、1年も同じ職場にいるとうんざりしてモチベがダダ下がる自分に気づきました。
リセット衝動が湧いてくるのです。


その時祖父の転職癖を思い出し、気質が似てるのではと気づきました。

労働意欲がなくなるわけではありません。

仕事ができない(難しい・とんでもない失敗をやらかす)わけでもありません。
人間関係は、多少バブられても平気です(ぼっち好きだから)。


しかし、とにかく環境を一新したい衝動に強く突き動かされてしまうのです。


夫と結婚したのを機に人材派遣会社に登録し、1年ごとに派遣先を変えてみました。
するとそれが自分にとても合っていることに気づきました。


次の職場に困ったことはありません。

向上心の強い方からは

「フラフラしても困らないのは理想が低いからだ」
と言われるかもしれません。


しかしこれは私の人生です。
私が困らなければそれで良いのではないでしょうか。

祖父の話はこれで一旦終わります。