史跡>旧日立航空機立川工場変電所❷戦争の記憶
この記事の続きです。
月に一度、3時間だけ内部が公開される
旧日立航空機立川工場変電所を見学に行きました。
昭和20(1945)年の2月17日、4月19日、4月24日に受けた3回の攻撃で、
工場の従業員や動員された学生、周辺の住民など100人を超える方が亡くなりました。
4月24日の空襲では、工場は8割方壊滅したといわれています。
(東大和市HPの記載より)
この工場では軍用機専用エンジンを製造していました。
いわゆる軍需工場です。
「動員された学生」というのは日本史で習った「学徒動員」です。
そのため空襲の標的になったのです。
亡くなった100名超の方全員が一般人です。
詳細はこちらをどうぞ。
外壁だけでなく、内部にも残る無数の銃撃痕。
10月から初めて上がれるようになった2階。
奥まった場所にある配電盤にも残る銃撃痕。
大きく吹き飛んだ2階テラスは危険なので立ち入り禁止です。
1995年に東大和市指定文化財となりました。







このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。