今日は何の日>4月8日:花祭り❸神性ではなく思想家・哲学者としてのゴータマ・シッダルタ
昨日の花祭り(釈尊のお誕生日)
テーマに今朝こういう記事を書いたところ
ゴンゴロ様よりこういうコメントをいただきました。
おお。
ちょうど続きに書こうかと思っていた所をピンポイントで。
ありがとうございます。
そうなんです。
ついでに言うと、ゴータマ・シッダルタは天国とか地獄とかについても語っていません。
ブッダの言葉と言われるものは多々伝わっていますが、全てがただ一つに集約されます。
「よりよく生きなさい」
ほぼそれだけなんです。
優れた思想家、あるいは哲学者の言葉です。
輪廻からの解放とは❓
よく、シッダルタの解脱は「輪廻からの解放」であると言われます。
これが子供の頃の私には、よくわからないポイントでした。
今の日本人の若者のほとんども、わからないのではないかと思います。
現代日本において、マンガ・アニメ・ライトノベルの一大ジャンルを形成している
「異世界転生モノ」と呼ばれるものがあります。
平凡、もしくは平凡以下な僕(私)が不慮の事故で死んでしまい、異世界(パラレルワールドのようなもの)に転生し(生まれ変わり)そこでは優れた能力を発揮して大活躍する。
…というのがテンプレート(定型様式)です。
このように「死んでも生まれ変われる」「生まれ変わった私の方が今より優秀で大活躍」
「一発大逆転」というのは、ちょっといいことのように思えませんか❓
しかしながら、シッダルタはそう考えませんでした。
それには当時のインド・ネパールの世相を考えなければなりません。
輪廻転生とカースト制度
天上天下 唯吾獨尊 今茲而往 生分已盡
ここで、❶でも引用したシッダルタの言葉をしつこくもう一度引っ張り出します。
天上天下 唯吾獨尊 今茲而往 生分已盡
私は今ここに生まれ、再び生きることなき故に尊し。
インドの仏教徒
特に上位カースト(富裕層)にとっては非常に不都合な考えだったようです。
現在、インドで人口に占める仏教徒の割合はわずか0.8%。
正論=受け入れられる考え
ではないということがよーくわかります。
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