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再)高円寺大道芸2022レポ❷ココナッツ山本氏&長仙寺<前編>㊟メインはゾウの話




ゾウの話読んでもらいたいので再公開。
初回公開:2022/10/3     15:00


🐘 🐘 🐘 🐘 🐘



昨日は暑ッッい中、高円寺大道芸2022に行ってきました。


今日私が観覧した芸人さんを、観覧順ではなく気分順でご紹介しておりますの第二段。


第一弾はこちら。


まずは会場となった「宝仙寺前」の宝仙寺をご紹介します。


日王山阿遮院長仙寺


高円寺駅パル商店街(アーケード)から脇道に入るとすぐにある長仙寺は真言宗豊山派のお寺です。


画像はOmairiより。


本尊は不動明王。


宝永元(1704)年に中野宝仙寺の住僧・真秀さんが建てたのが開創と伝えられます。


明王山聖無動院宝仙寺


中野坂上にある中野宝仙寺(明王山聖無動院宝仙寺)は中野区・杉並区界隈では最大規模の寺院です。


寛治年間(1087年 ~1093年)に源義家が開いたとされます。
こちらの本尊の不動明王は、奈良の東大寺を開山した「良弁(金鐘行者)」の作と言われています。


1932年に中野区が発足した際はこの宝仙寺の境内に中野区役所が建てられました。


また幼稚園を経営しているお寺はよくありますが、こちらの宝仙寺は幼稚園・小学校・中高一貫校の「宝仙学園」を経営しています。


宝仙寺と象


この宝仙寺には、江戸時代にベトナムから日本に献上されたインドゾウの牙1本が保管されています。


ゾウは1728(享保13)年6月に中国の貿易商・鄭大成が広南(現在のベトナム)から船で長崎の出島に搬送しました。
八代将軍徳川吉宗に献上するためです。


つがいで、オスは7才、メスは5才でしたがメスは上陸3ヶ月後の9月に死亡。
残ったオスは長崎の十善寺でしばらく飼育され、翌年の5月に江戸に移動することになりました。


吉宗の命令でゾウは長崎から江戸まで約1,400キロを2ヶ月半かけて、難所の箱根の山も越えてひたすら歩きました。


👇


途中の京都では天皇に拝謁し、江戸では諸大名もこぞって見物したそうです。


一段落した後、ゾウは現在の浜離宮庭園で飼われ、江戸の人気者になりました


しかし吉宗はゾウの餌代に苦い顔をしました。
年間飼料代に200両(600万円~1,000万円)かかったという記録が残っているそうです。


現在の動物園でのゾウの餌は干し草・青草・果物・野菜・ペレットの混合で、餌代は1ヶ月約15万円〜18万円ほどと言われます。
年間200万円前後なので、600万~は何を食べさせていたのでしょうか。


倹約令を出すほどの締まり屋だった暴れん坊将軍様には少々無駄に思えたのかもしれません。


世話係が死亡する不幸な事故が起きたことがきっかけになり、吉宗は便乗商売(象グッズを自作して売って大儲け☚知的財産の観念がないから誰でも作れた)で大いに儲けていた中野村(当時)の源助という男にゾウを下賜します。


要は厄介払いにタダで払い下げたんですね。


源助は現在の中野区立朝日が丘公園あたりに飼育小屋を建て、見物料を取って像を一般公開。
またまた大儲けしたそうです。


朝日が丘公園の近くには「象小屋(象厩※)の跡」という看板が今もひっそりと建っています。


※「きさや」と読みます。


ところがゾウは下賜の翌年に早々と死んでしまいます。


寒さで死んだとも、飢えで死んだとも、あるいは甘い物の与えすぎ※で病死したとも伝わりますが、正確な記録は残っていません。


※もしこれが本当だとしたら、当時は甘い物=希少品・貴重品・ご馳走・庶民の口には滅多に入らない高級品…でしたので、可愛がる意味であげたのかもしれません。


知恵の回った源助は、今度はゾウの頭骨と2本の象牙を見せ物にして、また稼いだのでした。


源助の死後、ゾウの頭骨と二本の牙は宝仙寺に納められました。


しかし1945(昭和20)年5月の東京大空襲で宝仙寺は全焼。
本尊を避難させるのが精いっぱいで、象牙は燃えてしまいます。


焼け跡から辛うじて掘り出された炭化した牙一本だけが、現在も宝仙寺に保管されています。


なお、一般公開はされていません。


あら❓
ゾウの話でめちゃ長くなってしまいましたよ。


というわけで大道芸人・ココナッツ山本氏の話は後編で。
👆
おまわりさん、タイトル詐欺です。