HSPの悩み・人の気配に敏感の対処法
寝つけないエピソードから続いてます。
小学校の入学祝に私に個室を与えると言い出した祖父に対し、父母は
「低学年のうちは親の目がないと勉強を怠けるものだから、個室は与えない方がいい」
と主張しました。
「親がサポートしやすいように、リビングで勉強させる方が効果的だと、本にも書いてある」
この説は、今でも教育〇〇とかいう肩書の人たちがよく主張していますね。
しかし祖父は言いました。
「ここは俺の家だから俺が決める。第一、親(父母)はサポートなんて全然してないじゃないか」
三世代同居のその家は、掃除は土地も家屋もまだ祖父名義だったのです。
祖父「明日からおまえたちがリビングで勉強を見てやるのなら、話は別だが」
母「親がつきっきりじゃないと勉強しないような子は、学校じゃ通用しませんよ」
祖父「話が矛盾してるぞ」
母「ぐぬぬ・・・」
父母は引き下がりました。
そうしてもらえた個室。パラダイスでございました。
①コチコチ時計から解放されたし
②TVの音も聞こえない
③2階なので空がよく見える
④人の気配がしない
そのため
⑤集中できる
⑥寝やすい
また個室を与えられた私は「低学年児は監視の目がないと勉強を怠ける」という父母の(特に母の)主張を覆しました。
個室で好き放題集中できますから、テストは5教科ほぼ毎回100点。
大好きな漢字練習帳も、1年生用はすぐに自習が終わってしまいました。
もっと上の学年用のを買ってくれと言い、3年生の漢字くらいまでは1年生の時にマスターしてしまいました。
さらに作文・図画工作・硬筆書写・理科(の中の生物)観察分野では常に学内コンクールで金賞の常連になりました。
県のコンクール入賞も何度かありました。
3歳頃から絵画や書道をはじめたくさんの習い事に通ってるいうという、教育熱心なおうちのクラスメイトがいました。
1年生の時のPTAで、祖母はそこのお母さんに
「おたくのお嬢さんはどこの絵画教室に行かせてるの?」
と何度も聞かれたそうです。
「何も習わせてない。本人が好きなだけ」
祖母が本当のことを答えても、そのお母さんは納得がいかない様子で繰り返したそうです。
「ええ~?低学年が、大人に教わらないであんな構図が描けるものでしょうか~?」
PTAから帰ってきた祖母が、その口調を再現しながら憤慨して言うには
「まるで『じゃあ大人が手伝ってるんじゃないの?』と言わんばかりの口ぶりだったね。ああ失礼だ!」
他の子と違うアングルというのは、つまりこういうことです。
小学生、特に低学年生は、どこかに連れていかれてここで絵を描きましょうと言われたら、だいたいそこで一番目立つメインの建物を真正面から画用紙一杯にドーンと描きますよね。
例えば、こういう構図です。
クラスの半分以上の子の絵はこれ。
なのに私だけがメインでない建物を、さらに斜め横から見た絵を描く。斜め横から見ると自然と建物にはパースが付いて見え、パースアングルになる。
小学校1年か2年でなまいきに。
こんな感じです。
そのお母さんは
「こういう構図は、絵の描ける大人が教えない限り、6歳かそこらの子どもが自分で描くことは不可能だ」
と言ったわけですね。
しかし、私が真正面構図を描かなかったのには理由があります。
それは、人口密度問題です。
メインの建物を正面から見据える、子ども感覚でいうところの特等席。
宝塚劇場のSS席最前列とでもいいますか。
そういう場所にはクラスメイトの半分以上が集中して陣取ります。
人間は声以外にも何かしらの動作音、つまり気配を出しています。
そして、人気の特等席(最前列中央かぶりつき)をいち早くゲットするような積極的で社交的なお子さんは、たいてい私にとっては「動作音が大きいうえにおしゃべり好きで、しかもその声が大きい」
とても苦手な子たちだったのです。
なので私は苦手な気配や大声から逃げて、ひとりでうんと離れた片隅に座ります。
するといきおい斜め横だの真横だの裏からだのといったアングルで見ることになります。
それを見たままに描くと「子供らしからぬ凝ったアングル画」のできあがりというわけです。
何なら建物を書かずに池と鯉だけ描くとか、近景の木とその向こうの思い切り遠景の塔(豆粒大)だけ描いたこともあります。
鳩だけ描いたこともありました。
そうやって描かれた絵は「ほかの子とは視点が違う」ところが評価されて、賞をもらいやすかったのでした。
HSPならではの過集中で、うんと細部まで描きこんだりもしてたわけですが。
とりとめのない文章になってしまいましたが、結局
人の気配に敏感のすぎる場合の対処法は「団体行動極力回避」。
これにつきますね。
私が小学校の頃の日本社会は、今よりもっと「ぼっち=悪」「おひとりさま=変人」「孤独好き=矯正すべき」という考えが強く支配していました。
なので正義感に燃えた先生方からは通知表に「団体行動が苦手」「もっと協調性を養いましょう」と書かれ続け、
「みんなに『仲間に入れて』と言いなさい!」
とガミガミ言われたり、無理やり校庭に引きずり出されたりしたわけですが。
そのうち「絵はボッチで描かせた方が賞を取れる子(結局クラスのアドバンテージになる)」「絵以外もおおむねそうだ」ということが認識されるにつれ、無理強いは少し少なくなりました。
「社会に出てからはそうも言ってられないでしょう?」
と思われた方。正解です。社会に出てからボッチを貫くには努力と工夫が必要です。
それに対して私なりにどう工夫して今まで来たか?はまた続きで書こうと思います。
読んでくださりありがとうございました。
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