今日は何の日>1月3日:駆け落ちの日
昨年は「瞳の日」をご紹介しました。
今年はこちらをご紹介いたします。
駆け落ちの日
1938(昭和13)年1月3日、当時のトップ女優・岡田嘉子(よしこ)氏と演出家の杉本良吉氏が、ソビエト連邦(当時)に駆け落ち亡命したことにちなむ。
(Wikipedia)
岡田嘉子氏はオランダとのクオーター。
学校を卒業後一旦は地方新聞の婦人記者になるも、日本人離れした美貌が評価され舞台女優に転身。
サイレント映画出演でトップ女優の仲間入りを果たします。
波乱万丈過ぎて松田聖子氏も霞む、岡田パイセンの武勇伝に刮目せよ
一方私生活では、未婚の母になったかと思えば子どもの父親とはまた別の男性と衝動的に駆け落ちして日活をクビになったりと、スキャンダル女優の走りとなります。
そして1937(昭和12)年・35歳の時、また別の男性(杉本良吉氏)と二度目の駆け落ち失踪しますが、今度は何と逃避行先がソビエト連邦。
約50年後に「恋多き女」「奔放女優」と名を馳せる松田聖子氏が可愛らしく感じられるほど肝の据わった奔放ぶりです。
今でこそソ連に行くには飛行機か船を使わないと無理です。
しかし当時は、日露戦争に勝った日本が樺太(現・サハリン)の南半分(北緯50度以南)をぶんどっていた時代。
南樺太までは日本の領土なので、国内旅行で簡単に行けました。
あとは日露国境を国境警備隊の目を盗んで強行突破できさえすればソ連に行けてしまう時代だったのです。
しかし、その先は甘くなかった。
二人は亡命先のソ連でスパイ容疑をかけられ、国家警察に逮捕されます。
そして杉本氏は銃殺刑。
岡田氏は禁錮10年に処されてしまいます。
岡田氏は禁錮刑を終えた後も敢えて日本に帰らず、現地でまた別の日本人男性と結婚。
ソ連で舞台に立ったり、モスクワ放送(ラジオ)の日本向け番組で日本語アナウンサーの仕事をしていたと言われます。
日本に帰国して「男はつらいよ」などに出演したもののソ連に舞い戻る!
日本政府の働きかけに応じてようやく帰国したのは、亡命から35年も経った1972(昭和47)年。
ソ連で結婚していた夫はすでに亡くなっており、遺骨を抱いての帰国だったそうです。
その後、なんと日本の芸能界に復帰。
映画 「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」(シリーズ第17作・昭和51年7月公開・マドンナは太地喜和子)などに出演。
写真が宇野重吉氏の下に配置されています⇩
「徹子の部屋」に呼ばれたこともあるそうです。
しかし14年後の1986(昭和61)年に
「やはり自分はもうソ連人だから、向こうで暮らしたい」
と言って日本の芸能界を引退、ソ連へ戻ってしまいます。
駆け落ちするほど愛したはずの男性をあっさり銃殺した国に、ねえ…(驚)。
そして1992(平成4)年、モスクワの病院で89歳で死去。
そのあとどうやって遺骨が日本に返されたのかは詳(つまび)らかではありませんが、現在は東京都府中市多磨町にある多摩霊園にお墓があります。
ソ連で結婚していたご主人(滝口新太郎氏)と一緒のお墓に眠っていらっしゃいます。
(Wikipedia)

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