何でもかんでも「切り取りだー」で済ませる風潮は好きじゃない
上川外相の失言に対しては「切り取りだ切り取りだマスコミの悪意だ」という擁護の声が強いですね。
「上川外相が言ったのは『生む』であって『産む』ではない!その辺もわからないのか、馬鹿め!」
というのが擁護派の言い分です。
・・・日本の伝統である掛詞(かけことば)を知らないんですね。
掛詞(かけことば)
和歌などにおける、同音異義を利用して1語に2つ以上の意味を持たせる修辞技法(レトリック)の一つ。
<例>
● 立ち別れ いなばの山の 嶺におふる まつとし聞かば 今かへりこむ
「松」と「待つ」をかけている。
● わびぬれば 今はた同じ 難波(なには)なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ
「澪標(みおつくし)」と「身を尽くし」をかけている。
※澪標:浅い河口港を通行する船に水深を知らせるために目印として立てる杭のこと。
● 大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立
「踏み」と「文(ふみ)」をかけている。
これはほんの一例で、もっと山のように実例はあります。
外国語にもあります。
英語ではダブル・ミーニング(double meaning)と呼ばれ、詩・謎かけ・ダジャレなどに多用されます。
今どきな形が、ラップ。
原稿まで用意してわざわざ「うまずして何が女性か」と発言するとすれば、発言者には
「生むと産むを引っ掛けた、秀逸なダジャレ」という意識があったと考える方が自然です。
上川さんに悪意はなかった(この年齢の女性なら『女は子を産んで当り前。猫にひげが生えているのと同じくらいの当たり前』という感覚でしょう)にせよ「『産む』に引っ掛ける意図など全くなかった」は不自然です。
もし「批判の声を受けるまで、全く気づきませんでした」となると、逆に
「上川さん、東京大学教養学部卒ですよね??」
と問いたくなりますよ。
これがわからないと古文で点を取れませんから。
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