映画評:女神が惚れた男と女神に惚れた男①「幸せなひとりぼっち」
これらの記事から続いています。
リメイク映画は完コピだと能がないので、細かい所を色々変えてオリジナル色を主張します。
それは当たり前なので比較し過ぎるのは野暮でしょう。
わかってます。
わかってるけど最後にもう一点だけ、気になった違いを語らせてプリーズ。
女神が惚れた男、オーヴェ:「幸せなひとりぼっち」
「幸せなひとりぼっち」の方では、妻と出会う前の主人公オーヴェの幼少~青年期が「オットーという男」に比べて遥かにたくさん描かれています。
幼少期に母を亡くし父子家庭に育ったオーヴェ。
鉄道会社(おそらくスウェーデン国鉄SJ AB)で車両清掃員として働く父親を手伝って、オーヴェもどう見ても小学生の頃から車両清掃の仕事をしています。
オーヴェは1954年生まれの設定。
スウェーデンの義務教育が8年(小中)になったのは、意外なことに1950年代になってからです。
日本の義務教育が9年(小中)になったのはスウェーデンより先の1947年です。
(それまでは6年・小学校のみ)
息子が高青年になった時、父は息子の目の前で列車にはねられて亡くなってしまいます。
天涯孤独の身となったオーヴェ。
残された粗末な自宅(あばら家)も、地上げ屋の放火とみられる火災で焼失。
火災保険には入っていなかったのか、無一文になります。
寝る場所すら失った失意のオーヴェは、つい職場の動いていない列車の中で寝落ちしてしまいます。
翌朝目を覚ますと、向かいの席で女神が微笑んでいました。
女神のごとく笑顔が眩しい女性は、女子大生(教育学部)のソーニャ。
「起こそうかと思ったけど、あんまりよく寝てたから」
電車が動き出してから1時間、オーヴェの寝顔を見ながら読書をしていたと言います。
うろたえたオーヴェは、とっさに「自分は軍属」と嘘をつきます。
同い年くらい(実はひとつ年下)の女の子が女子大生と名乗っているのに
「鉄道清掃員の、しがない労働者です」
とはどうしても名乗れなかった。
そこへ運悪く改札がやって来ます。
オーヴェはもちろんキップを持っていません。
車掌はオーヴェの顔見知りではないようで、顔パスにしてくれる様子もありません。
社員証でも出せばフリーパスではないかと思うのですが、それもできません。
なぜなら「軍属だ」と自己紹介してしまったから。
お金を払わなくてはいけませんが、オーヴェは無一文です。
詰んだ。
それに対し「私が払うわ」と全く躊躇なくサッとお金を出すソーニャ。
見知らぬ男が横になって寝ているボックス席の向かいに座って、1時間も寝顔を観ていたというところからして
(あ~一目惚れですか)
なのですが、たった今自己紹介し合ったばかりの無一文の男に対し、全く躊躇なく金を(数百円だとしても)建替えてあげるあたり
(惚れましたね)
戸惑うオーヴェは「お金は返す」と言って次の駅でそそくさと降りようとしますが、ソーニャは「食事の方が良い」と言います。
あ、女神の方からデートの提案。
それに対するオーヴェの返事は、ナチュラルに「僕が作るの?」。
ああ、外食経験もほぼないんだ。
一部の女性ならここで(ダメだこの男。貧乏が染みつきすぎ!)と不合格判定を出すでしょう。
しかし一部の女性は(何てスレてない人かしら)とキュンキュン判定でしょうね。
レストランデートにこぎつけたオーヴェとソーニャ。
肉料理をぱくつくソーニャの前で、スープだけをすするオーヴェ。
オーヴェはテーブルマナーもおどおどしていて、本当にレストランが初めてのようです。
ソーニャ「どうしてメインを食べないの?」
オーヴェ「家で済ませてきた」
ソーニャ「…??」
オーヴェ「君が、好きなものを注文できるように」
ここでオーヴェは、軍属というのは嘘で、自分は鉄道清掃員で、親もなくお金もないと白状して去ろうとします。
心打たれた女神はオーヴェを引き留めてキス。
カップル誕生です。
オーヴェはその後努力して資格を取り、職場は同じでも技術職になったようですが、それはまた後の話。
これが「オットーという男」では、最後のレストランのくだりはほぼそのまま。
最初の出会いとレストランデートまでの部分がずいぶんと改変されています。
長くなったのでもう一回だけ続きます。
次で最後にしますから、よろしくお願いします。
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