乳母という職業を考察する
昨日のこの記事から続いています。
日本初の求人広告は、乳母(うば)を募集するものでした。
昔は身分の高い女性は自分で子育てをしない、授乳もしないものとされていたので、代りに授乳を含む子育てを行う乳母という職業がありました。
母乳が出ないからとか出が悪いからという理由ではなく、そういう風習でした。
これは何故だか西洋でも東洋でも共通でした。
上流階級の女性に自分で子育てをさせなかったのは、授乳をしている間は次の排卵が来ないため。
上流階級になればなるほど、跡継ぎ確保やその他の理由のために、身分の高い妻にはできるだけ次々と子を産ませる必要がありました。
女の子も政略結婚の駒として貴重でしたから、一人でも多い方が良かった。
だから、次の排卵を再開させて早く次の子を産ませるために、わざと授乳をさせなかった。
マリー・アントワネットの実母、女帝マリア・テレジアなどは16人(5男11女)も産んでます。
しかし16人中4名は乳幼児のうちに早逝。
2名は16歳未満で早逝。
無事成人したのは10名でした。
この絵には乳幼児のうちに死亡した4人以外の12人の子が描かれています。
左端にいるのは夫であり神聖ローマ帝国皇帝のフランツ1世=16人全員の父親です。

日本史で最も有名な乳母は、徳川家光の乳母、春日局です。
明智光秀の重臣だった斎藤利三の娘で、本名は斎藤福(ふく)。
養育した二代将軍秀忠の子・竹千代(幼名)が、長じて三代将軍(徳川家光)になります。
春日局は家光の威光で大奥で絶対的な権力を握り、従二位にまで上り詰めました。
息子・秀吉の力技で従一位になった天瑞院(秀吉の生母・木下なか)に比べれば一段下の位ですが、平清盛の正妻・平時子(たいらのときこ/夫・清盛の尽力で従二位)とは同位です。
日本史で「平氏の傲慢の象徴」として習う「平氏にあらずんば人にあらず」という有名な放言は、時子の実弟・平時忠(たいらのときただ)が放ったものです。
平家物語の有名なラストシーン、壇ノ浦の戦いで源氏の軍に追い詰められた時子が孫・安徳天皇を抱いて入水(自殺)する場面。
二位殿、やがて抱き参らせて、「波の底にも都の候(さぶらふ)ぞ」と慰め参らせて、千尋の底にぞ沈み給ふ。
(平家物語)
この「二位殿」が平時子です。
2015年上演の舞台「春日局」(明治座)では、高島礼子さんが春日局を演じました。



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