しみじみと老化を感じる時
私は、幼少の頃から車窓の景色を見るのが好きで好きでたまりませんでした。
まさにこういう⇩お子様だったわけです。
そして何時間でも飽きずにこのまんま。
画像はKONOBASよりお借りしました。
列車なら進行方向に向かって窓側。
バスなら最前列、それが叶わなければ窓側。
そこに座ってただただひたすら車窓の風景を堪能する。
幼稚園や学校の遠足で何が煩わしいって、はしゃぐ級友。
いや、はしゃぐのは自由ですよ。
しかし
「そんなもん毎日毎日飽きもせずやってるだろ!半年に一度くらい(当時遠足は春秋2回)違うことをしてみろ!」(子どもミリエの魂の叫び)
と言いたくなる、お喋りやらクイズやらしりとりやらトランプやら唄の順番やら・・・を強制的に割り振られること。
滅多に来れない場所の、初めて見る風景が広がっている所で、何が悲しくて車内しか見ず、普段と1ミリも変わらぬことをしなきゃいけないのか。
いや、あなたたちが車内しか見ないのはあなたたちの自由。
私はそれを尊重します。
だから、私が静かに外を眺めることに没頭する自由も同じように尊重してくれ。
私はあなたたちに、私と一緒になって無言で外を見ろと強要したことは、ただの一度もない!
なぜあなたたちだけが一方的に私に「自分たちと同じことをしろ」と強要するのか、意味が分からない。
しかし幼稚園児ミリエがそのような内容を、幼稚園生ゆえに非常に拙い表現だったと思いますが意味合い的には上のような主張を正直に発したところ、幼稚園教諭の方々に「みんなと仲良くしたがらない困った子」と、問題児扱いされまして。
それに懲りたので、小学生になってからは車酔いしやすい体質だったのをここぞとばかりに逆手に取ってこう言うことにしました。
「気分が悪いから、参加したくない」
\NO!/
※酔いやすかったのは事実です。
車酔いしやすい子と認知されれば、優先的に最前列の席(振動が少ないし万が一の時ガイドさんが気付きやすい)をあてがわれるので、一石二鳥。
成人して飛行機が選択肢に加わると、飛行機だけは窓側を忌避するようになりましたけど。
理由は、飛行機の窓から景色が楽しめるのはほぼ離着陸の時だけだからです。
巡行中は何も見えんし、国際線だと食事後は「日除けを閉めろ」と指示されるし。
加えて窓際は、通路側の人に寝られたらトイレに行きたい時に起こさないと出られない。
そのため窓際は避けて「中央列の通路側」をリクエストするようになりました。
それはともかく、(飛行機以外の)乗り物に乗ってる間中は無言で車窓の景色を楽しむのが娯楽、という習慣は大人になっても続きました
日帰りバスツアーなどでも、早い人は行きから、遅い人も帰り道にはほとんど寝ています。が、私は寝たことがありませんでした。
往復の風景も私にとっては観光のうち。
私以外全員のイビキをBGMに、自分一人だけ暮れ行く茜の空や橙色のハイウェイ灯が照らす自動車道を、しみじみ綺麗だなと思うのでした。
画像はWall Hereよりお借りしました。
ところが。
こんな私が。
去年頃から、ハッと気づくと車内で寝てた、ということが起きるようになりました。
画像はねこのきもちよりお借りしました。
「こ、これが老化・・・?」
つい先日も遠出散歩帰りの東急線内で完璧に寝ていたようで、夫に小突き起こされました。
「渋谷だよ」
嗚呼、老化。
老化の神様がいらしたら言いたい。
シミ・シワ・白髪は許容しますから、車内での眠気だけは勘弁していただけませんでしょうか?
BBA呼ばわりにも甘んじますから、勘弁してください。
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