旅行記>海外旅行>ロシア>ウラジオストク201908③(再)
これらから続いています。
6/22に一度公開済みの記事の、一部推敲再公開です。
第一次大戦後の短期間(1918~1922)日本軍がウラジオストクを占領していたことがありました。
その少し前の19世紀末から日本人の入植は進んでいて、最盛期には6千人余りの日本人が居住していたそうです。
日本人が付けた日本名は 浦塩(うらじお)。
当時の横浜正金銀行ウラジオ支店の建物は、現在アルセーニエフ博物館として活躍中。
横浜正金銀行といえば、横浜市中区にある本店の建物は、現在横浜県立歴史博物です。
比べてみましょう。似てますね!
浦塩本願寺(浄土真宗本願寺派)もあったようですが、今は石碑が残るのみです。
写真撮影したのですが、手ブレしてしまっていて貼れません。
フリー写真も見つかりませんでした。
ウラジオストクは海岸線に山が迫り、坂道だらけでアップダウンが激しい。
ちょっとサンフランシスコに似た感じの地形でした。
しかし街の規模はこじんまりとしていて、徒歩とバスだけで回れます。
街の中心部でもこの急坂です。
バスはまだIC化どころか料金の機械徴収化すらされておらず、運転手さんが現金でお金を受け取り、お釣りを渡します。
少しでもお釣りが渡しやすいようにと、手作りのコイントレイに小銭を分別して工夫していました。
コイントレイはバスごとに形がまちまちで、、手作りが感漂っていました。
ご本人か奥さんたちのDIYかもしれません。
新型バスは樹脂が多用されていて座席もモダン。
一方、相当旧型バスもまだ混じっています。
中には木の座席がロデオボーイなみに傾いているものも。
日本のバスは千円札以外の紙幣を受け付けてくれませんが、ロシアはそうでもないようで、大きめのお札を出す人がたまにいました。
運転手さんは、根気よくお釣りを数えて渡します。
乗る人が多いとなかなか出発できません。
それでも「細かいのないの?」と嫌な顔をする運転手さんには、遭遇しませんでした。
ロシアの庶民は忍耐強くて実直だ、とよく言いますが、確かにそうでした。
深く関われば嫌な面も見えてくるでしょう。
それはどこの国も同じだと思います。
ただ、通りすがりの旅行者の目で見てもちょっとという所も中にはあることも事実です。
それを考えれば、ウラジオストクのロシア人は、決してフレンドリーではないけど十分良い人たちでした。
食事はあちこちにあるセルフ食堂が気に入って食べ歩きました。
どこも、飲み物付けて日本円換算300~400円前後と、格安でした。
軽い朝食。黒パンがうまい。紫色のドリンクは、ベリーティー。
安いセルフ食堂でも、テーブルにはちゃんと生花がありました。
※ロシアでは菊に弔花の意味はありません
昼食。黒パンにピロシキにクレープ。主菜はサーモン。
手前の小さなパッケージは野の花ハチミツ。ひとパック30円くらい?
紅茶は15円くらい。激安すぎて金銭感覚が狂う。
別の日の昼食。右はゆでたソバの実。
ロシアでは普通の主食のチョイスのひとつ。
夕食。右はボルシチ。
左はジャガイモと根菜煮込み。煮込み系がおいしい。
別の日の夕食。
野菜オムレツがミックスベジタブルなのはご愛敬。
右はグリルサーモン。
ロシア料理は野菜が多い。毎日外食でもモリモリ野菜が摂れました。
4泊5日の滞在でしたが、良い所だ、来年また来たい!と思いました。
ところが、翌2020年も今年2021年もコロナで行けず。
早く再訪したいです。
一応再公開はこれで完結です。
あとは掲載しきれなかった写真だけを、追加で公開したいなと思っています。
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