今日は何の日>3月3日:桃の節句①元々は女の子の日ではなかった
3月といえば桃の節句。
俗に「ひな祭り」と呼ばれます。
明後日なので少し気が早いですが、本来は女の子のためのお祝いの日ではなかった❗️というお話です。
元々は紀元前の中国で上巳節という春を祝う行事でした。
旧暦の3月初旬なので現在の太陽暦でいうと3月末から4月初めです。
寒の戻りがあったりして体調管理が難しい時期のため「穢れ(ケガレ)をはらう」としてからだを清める行事が行われたそうです。
これが日本に伝わり、今でも日本各地に残る「流し雛」の風習になったようです。
鳥取市の流し雛。画像はウォーカープラスより。
それが女の子の人形遊びと結びつき、人形を流さず飾り、女の子の成長を祝う行事に変化。
年中行事として定着したのは江戸時代だそうです。
雛人形の原型・立ち雛。
座り雛の元祖・室町雛。まだお代理様とお雛様だけです。
画像は「人形の久月」HPより。
家臣も登場の江戸初期の寛永雛。
画像は「人形の東玉(とうぎょく)」HPより。
豪華な段飾りが一般化したのは昭和になってからのようです。
こちらは「人形の吉徳」。
ただし最近は住宅事情等によりコンパクト化への回帰傾向があります。
こちらは「秀光人形工房」。
<おまけ>
男の子の成長を祝う「端午の節句」も本来は男の子のお祝いではありませんでした。
こちらは旧暦の5月初旬なので太陽暦でいうと5月末から6月初めです。
急に暑くなる季節なので、やはり古代中国ではこの時期に薬草狩りをして薬湯を浴びる習慣があったそうです。
今でも残る「菖蒲湯」の風習です。
写真はじゃらんネットより。
これが日本に伝わると、菖蒲と尚武(武道や軍事を尊ぶ)が同じ発音であることから、武家において男の子の人なったそうです。
定着したのは鎌倉時代と言われるので、女の子の日より男の子の日の方が早かったわけですね。
当時の男児の方が喜ばれた社会情勢を考えればやむなしでしょうか。
ただし元々は武士階級の行事であり、庶民にも浸透したのはやはり江戸時代だそうです。
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