HSS型HSP🌏Millieの脳内世界

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It is getting hotter.
Be careful not to eat too much cold food.
This year's ducklings will hatch soon.
How many ducklings will we see ?

今日は何の日>4月13日:啄木忌・明治の歌人石川啄木の命日と一番好きな啄木の短歌

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石川啄木(本名:石川 一/いしかわ はじめ)は1886(明治19)年2月20日に岩手県盛岡市に生まれ、1912(明治45)4月13日に肺結核で亡くなりました。


26歳になったばかりでした。


今日は啄木の110回目の命日です。



それまでは「美しいことを書くこと」とされていた短歌で、生々しい貧乏生活や負の感情も含めた本音を赤裸々に詠んだ新鮮さが注目され、若くして地位を確立した天才歌人。

一握の砂
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悲しき玩具
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それでいて貧困と病苦(肺結核)に苦しみ、早逝してしまう悲劇性。


その鮮烈な作風とは裏腹の、私生活でのだめんずっぷり等、色々と突き抜けて興味深い人です。



下は1908(明治41)年に撮られた、親友金田一京助との写真です。


啄木と同郷で4歳年上の金田一京助は、皆様ご存知の通り、後に日本を代表する言語学者になり、文化勲章やら何やらたくさん受けた人物。


彼は浪費癖のある年下の友人・啄木から、年がら年中借金を申し込まれていたそうです。


というか啄木は「借金の天才」というあだ名をつけられていた借金王(シャッキング)。
親族・友人・知人・上司・同僚、ほぼ全員から借金をしていたと言われます


中でもお人好しの金田一は自分の服を質屋に入れてまで啄木に貸していたそうで、おそらく啄木の一番の金づる(言葉が悪いですが)だった人。


それでも啄木の浪費の方が上回り、とうとう下宿を追い出される事態になります。


すると金田一は、大事な蔵書をほとんど全て売り払って金を工面して、啄木に代わりの下宿を借りてあげたのだそうです。


金田一が結婚して家庭を持っても、何食わぬ顔で新婚家庭にお金を借りに行く啄木。
それも借りる一方で、返さない。


静子夫人は
「人の良い主人からなけなしのお金を奪って行くのは、恨み骨髄だった」
とこぼしていたと、後に御子息(金田一春彦氏※)が書いてます。


※この人もまた文化功労賞やら何やらたくさん受けた言語学者。


貸した金が全て生活費に消えてしまっていたならまだしも、啄木は飲んだり買ったりにも大いに使ってたわけですからねえ。
(注:飲むは酒を飲む、買うは遊女を買うの意味ですよ)


金田一は、よほど啄木の才能に惚れ込んでいたのでしょう。
啄木の死後は啄木を偲ぶ本まで出しています。

新編 石川啄木 (講談社文芸文庫)
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私が一番好きな啄木の短歌は「一握の砂」に収蔵されている、これです。


一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと いのりてしこと


何も見ずにそらでチャチャっと打ててしまいました。


良くも悪くも、石川啄木の人柄を端的に表している句です。


人間、生きていれば、こういう負の感情がふと心に浮かぶことの一度や二度くらい、あると思うのですよ。


ただたいていの人は、自分の心に芽生えた負の感情を認めたがりません。
なかったことにして、心の奥底にしまい込んで、無理矢理笑顔を作って、善人を演じながら生きていく。


こんな考えを他人に知られて軽蔑されるのが何より怖いと恐れてしまう。


それを平気で赤裸々に短歌に詠んで、発表する。
つまり天下に公言してしまう石川啄木。


それだけ我が強く、傲岸不遜で傍若無人な人物だったのだと言ってしまえばそれまでです。


ですが、少なからず心のどこかで
(なんかうまく言えないけど、ちょっと羨ましい。一度世間体の手枷足枷を外して、
このくらい突き抜けてみたい)
と密かに思ってしまう。


そんな自分に気づかされる歌。


いや本当に紙一重の天才だよ❗️
と思わずにはいられないから、私はこの歌が好きです。