新興ことわざ>「他人を変えるな自分が変われ」に対する疑念
何度も自己紹介しておりますが用心深い性質です。
疑り深い。
素直じゃない。
「他人を変えることはできないが、自分を変えることならできる」
という言葉がありますよね。
変身❗️
古くからあることわざではなく、近年聞かれるようになった教訓めいたフレーズ。
私はこういう類をまとめて「新興ことわざ」と呼んでいます。
「他人を変えようとするのは傲慢。自分が変わるべき」
といった言い回し違いもありますが、意味は似たようなものです。
他人にああなれこうなれと指図するな。
だったら自分が変われ。
一見とてもごもっともに聞こえます。
日本人の大好きな「謙虚」にも通じます。
なので、多くの素直な方々が膝を打って「なるほど❗️」と感心し、その中の何割かは
「この感動をあなたにもお裾分け💕」
と、他人にもお勧めされます。
「わかる❓あなたが変わればいいのよ」
・・・あれ❓
冷静に考えたらおかしくないですか❓
私、たいして親しくもないK子さんからゼロ距離でグイグイこれを言われた時、思わず言い返してみたことがあります。
私「あなたは今、他人である私を変えようとしていますね❓」
K「は❓なんなの❓意味わかんない。いい❓もう一度言うよ❓他人は変えようとしても変えれないの。だからあなたが自分を変えなきゃいけないって言ってるの❓ねえ、わからない❓」
私「つまりK子さんは、その言葉によって、他人である私の行動を、変えさせようとしてますよね❓」
K「え❓・・・は❓」
結局その時は彼女が「秘技・忍法・話そらしの術」を繰り出したので、ウヤムヤになりました。
しかし。
「他人は変えられない」
これって、怖い言葉ですよね。
善意に解釈すればただの謙虚でしょう。
しかし、悪意に解釈すれば、例えば犯罪者はこういうことになりませんか❓
「人は変わらない=反省しないし、更生もしない➡︎処刑一択」
これは極論としても
「だからあなたが変わるべきなんだよ。わかるでしょ❓」
とグイグイ来る人は、結局他人を操りたい人だと思っています。
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