女子は纒足/男子は宦官:中国の二大奇習+源頼朝の愛馬の話
中国で女性に纒足をするようになったのは6世紀ごろと言われています。
それよりもっともっと早く始まった奇習が宦官。
ようするに男子の去勢です。
エジプトやオスマン帝国(トルコ)、ムガル帝国(インド)にも宦官はいた記録が残っていますが、なんと言っても中国。
中国における宦官は圧倒的に古く、紀元前13世紀には既に存在していたとされます。
当時の亀甲文字に記録が残っているのです。
清王朝のラストエンペラー、溥儀が紫禁城(現在の北京の故宮)を追われた時、同時に追放された紫禁城勤めの宦官が2千人もいたそうです。
- 最後の宦官秘聞―ラストエンペラー溥儀に仕えて
- 日本放送出版協会
- 本
古来は刑罰の一環として行われていた、もしくは異国から連れてきた男性奴隷を隷従させるためにちょん切っていたのが始まりのようです。
のちに志願制になると、大変な人気で高倍率。
最盛期だった明王朝時代には王宮に6万人もの宦官がいたそうです。
1621年に3千人の補欠求人を出したら2万人の応募があった記録も残っているそうです。
その時は急遽求人枠の方を拡大して4500人を採用して収めたようです。
彼らの多くは自分で望んで、もしくは親が我が子をちょん切ったそうです。
先にちょん切ってしまってから王宮に応募。
宦官になれば平民でも宮廷で働け、出世が望めるから。
しかしろくに消毒も麻酔もない時代です。
3割ほどは細菌感染で死亡したと言います。
それでも例えば南漢国には総人口100万人、つまり男性人口50万人に対し宦官が2万人いたことが記録に残っているそうです。
南漢国は今の広東省あたりにあった国。
全男性の25人に1人がちょん切っている。
死亡率3割と言うことは、2万人の陰で9千人死んでいる。
・・・・・・。
中国文化は何でも片っ端からありがたがって輸入した古代〜中世の日本が、纏足と宦官だけは輸入せずガン無視したのは幸いでした。
余談ですが、日本人はそもそも家畜の去勢すらやろうとしませんでした。
世界で乗用馬や軍馬を全く去勢せずに使っていたのは日本ぐらいだったと言われています。
少なくともユーラシア大陸では日本だけでした。
モンゴルやヨーロッパでは古来乗用馬と軍馬は去勢した雄馬以外絶対使いませんでした。
未去勢の雄馬はとんでもなく気が荒くなることがあり、制御しにくいからです。
中国でも当然馬の去勢は行われていましたが、日本はその文化も輸入しなかった。
日本では、特に戦国時代は、むしろ悍馬(未去勢の、気性が激しく癇が強い暴れ馬)を巧みに乗りこなしてこそ一人前の武士であるという考え方が一般的でした。
男性ホルモンによるオス馬の攻撃性や非従順さはむしろ強さの証として歓迎されました。
癇癪の強い牡馬が戦場で荒ぶって敵を噛み殺したり、蹴り殺したりするのを「頼もしい」「あっぱれ」と称える記録ばかり残っています。
伊達政宗は「名馬はことごとく悍馬より生ずる」という名言を残しています。
また源頼朝に献上された名馬「生喰(いけづき)※」は、生き物を生きたまま喰らいそうなほどに凶暴な気性だったが故の名付けでしたが、もちろん頼朝は大喜びしました。
※優雅な字を当てて「池月(いけづき)」と書いている文献もありますが、同じ馬です。
味方も時々蹴り殺されたり齧られたりしたはずですけどねえ。
不思議ですねえ。
名馬イケヅキに関してはもうひと記事書く予定です。
👇東京大田区の洗足池公園に立つイケヅキ像。
頼朝像はなく、イケヅキのみの潔さ。
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