今日は何の日>9月26日:八雲忌(小泉八雲命日)
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)のご命日です。
パトリック・ラフカディオ・ハーン
(Patrick Lafcadio Hearn/日本名:小泉八雲)
1850(嘉永3)年6月27日~1904(明治37)年9月26日
父はアイルランド人、母はギリシャ人だがアラブの血が混ざっていたらしい。
ギリシャで生まれ、アイルランドとイギリスで育つ。
成人してからはフランスやアメリカを転々としながら文筆の才を認められる。
1874(明治7)年オハイオ州で黒人女性と結婚するが当時のオハイオ州法では白人と黒人の結婚は違法だったため結婚届は受理されず。
1877(明治10)年離婚。
1890(明治23)年アメリカの出版社ハーバー・マガジンの通信員として日本に渡る。
しかし横浜到着直後に通信員契約を破棄。
アメリカで知り合った文部省普通学務局長・服部一三の斡旋で日本の学校の英語教師の職を得る。
来日翌年の1891(明治24)年には早くも日本人小泉セツと再婚。
1896(明治29)年 には 東京帝国大学文科大学の英文学講師に就職。
日本に帰化し、日本名・小泉八雲を名乗る。
セツ夫人との間に三男一女を儲ける。
1903(明治30)年に東京帝国大学を退職。後任は夏目漱石。
1904(明治37)年から早稲田大学の講師に就職するも、同年狭心症で死去。
享年満54歳。
日本で出版した本は13冊。
代表作とされるのは「怪談」。
墓所は東京都豊島区の雑司ヶ谷霊園。
戒名は正覚院殿浄華八雲居士。
松江藩士の娘・セツ夫人と松江で結婚しているため、日本では
「生涯島根に住んでいた人」
というイメージを持つ人がとても多いのですが、実は松江居住は一年ちょっと。
一番長く住んだのは、東京都新宿区(亡くなるまでの8年間)。
山陰地方は「寒いからヤダ」と言っていたという話も残っています。
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