「善意の悪魔」という言葉に感じる薄ぼんやりした悪意
「暴風で倒れたら危険だから」と、バス事業者が台風14号襲来前に予め倒しておいたバス停標識がわざわざ起こされる事例が発生。
イタチごっこになってしまった。
もっと周知されてほしい、といった記事です。
しかしここで
「(わざと)倒してあるバス標識を(それと知らず)起こしてしまう人」
=「善意の悪魔」
という強い言葉のチョイスにザワッと違和感を覚えました。
たしかに「小さな親切大きなお世話」「ありがた迷惑」という事象はこの世に満ち満ちています。
しかし「善意の悪魔」とまで言い切ってしまったのを目にしたら、ちょっとゾクリとしたわけです。
最近は「知らない人が困ってても助けない」風潮が広がっていると言われます。
事実ネット上には
「財布とか落ちていても、面倒に巻き込まれるのが嫌だから交番に届けたりせず放置する」
「子どもが困っていても、声をかけると通報されるから見ないふりをする」
といった声があふれています。
強い言葉だけが独り歩きしたら、倒れているバス停を起こす人が減る代わりに、困っているように見える人に声をかける人も今より更に減るような気がしました。
「悪魔」という言葉のチョイスが強すぎて「へ❓」と思ってしまったんですね。
「善意の困ったちゃん」とかだったら「いるよね~」で済んだ気もします。
欧州のこんなことわざに由来している表現でしょうか❓
The road to hell is paved with good intentions.
地獄への道は善意で舗装されている。
それとも三国連太郎初主演映画の「善魔」❓
若き日の三国連太郎が超美形。
キレイなお姉さんは淡島千景(宝塚出身)。
©松竹/岸田國士(原作)/木下恵介(監督)
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