経験談>いち浄土真宗宗徒として宗教を考える・前編
前置き
まず、私は宗教を信じていない。
思想の一種であると考えているので、興味はある。
興味があるので知識はある。
しかし占いと一緒で、妄信する人・他人に強制する人は好まない。
エンドウ一族(仮名)は代々九州に生息している一族だ。
帝都(違うだろ)東京まで進出している奇行種はごく少数。
九州は、北陸ほどではないが浄土真宗の勢力が強い地域だ。
※北陸地方は浄土真宗が8割を占める。九州地方は6割ほど。
旧市街(元城下町)にある私の実家の周りにある寺は9割くらい浄土真宗。
エンドウ一族も浄土真宗(本願寺派)。
私が「近いから」というだけで通った幼稚園も浄土真宗の寺が経営していた。
なので一応カテゴリとしては浄土真宗宗徒の末端(崖っぷち)には、いる。
ここから体験談
奇行種の一人だった渋谷の叔父が数年前亡くなった。
病院で亡くなったので火葬と葬儀はベルトコンベア式に手配された。
しかしあまり納得のいくものではなかった。
喪主である叔母は、同じ奇行種である姪(叔父の兄の娘)の私に相談をしてきた。
戒名、位牌、四十九日以降の供養は別の寺に直接頼みたいというものだった。
叔母「私は実家が浄土真宗じゃないからよくわからないの。どこが良いか調べて」
葬儀と初七日に来たのは、業者を介して派遣されてきた僧侶だった。
叔母の代行で一度だけやった僧侶との直接の電話対応では、檀家と一見さんには対応に差をつけているような印象も受けた。
そして、正直に言えば叔母の耳にも私の耳にも、読経も説法も下手だった。
浄土真宗(西=本願寺派)のお経「正信念仏偈」は、正式に言うとお経(念仏)ではないとされている。
仏の教えに感銘を受けた親鸞聖人(浄土真宗開祖)がそれを唄にしたものだそうだ。
般若心経などの普通のお経に比べると全体的にキーが高く、リズムがあり、ハイライトはかなり伸ばす。
低く低く唸るタイプのお経の宗派の人からは「軽い」と言われるほど軽快だ。
なので美声で歌のセンスがある人が唱えると本当に歌のように耳に心地よいが、音痴な人だとかなりジャイアンになってしまう。
派遣されてきた僧侶は、正直言ってジャイアンだった。
叔母に相談を受けた私はそれなりに真面目に調べた結果、築地本願寺に頼むことを提案した。
浄土真宗本願寺派の総本山は京都にある京都西本願寺。
その京都西本願寺の唯一の直轄寺院であり、東日本布教拠点として置かれているのが築地本願寺。
築地本願寺はX-JAPANのhide(松本秀人氏)の葬儀があったことで有名。
松本秀人氏の葬儀は1998年だったが、今でも毎年命日(5月2日)には追善供養が行われている。
※今年も4月29日に追善供養とミニコンサートが行われた。
これは2010年に行われた13回忌法要の写真。スポニチより。
叔母「ええ~あのインド寺院みたいなとこ❓私はもっとお寺お寺ぽい所が好きなんだけど・・・」
私 「仏教はもともとインド発祥だから、敢えての古代インド様式です。叔母さんの言ってるお寺お寺っぽいお寺っていうのは、それをいうなら中国様式です」
叔母「和じゃないの❓」
私 「ないよ」
というわけで私と叔母は銀座のひと駅隣の地下鉄日比谷線築地駅前に威容と異彩を放つインド寺院・・・もとい築地本願寺に、ご相談に赴いた。
少し長くなってきたので後半に続く。
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