東芝未来科学館<中編>からくり儀右衛門編❷と藤岡市助編
亀盃台(かめのさかずきだい)
ゼンマイを巻くと亀が四肢を動かして歩くという比較的単純なからくり人形。
しかし四肢の動きの微妙なずれ具合に亀感が強い。
茶運童子のような複雑なギミックはなく、ゼンマイが巻き終わるまで直進するだけですが、それでも四肢の動きの微妙なずれ具合にただよう強烈な亀感。
ちょっと薄暗い所で見たら本当に亀が歩いてるとしか思えないでしょう。
静止画像でもなお、この絶妙な脚の曲げ具合や精密な頭部の再現。
甲羅部分は本物の亀の甲羅が使われているそうです。
甲羅をパカッと開けると下の亀のミの部分にゼンマイが納まっています。
もし私が怪盗ルパンだったら、ここの展示物で欲しいのはふたつ。
文字書き人形とこの亀の盃台です。
東洋のエジソンと日本のエジソン
東芝は、「からくり儀右衛門」「東洋のエジソン」と呼ばれた田中久重が創業した田中製造所と、「日本のエジソン」と呼ばれた藤岡市助が創業した白熱社が合併してできた会社です。
田中重久(左/福岡県久留米市出身/1799~1811年)と
藤岡市助(右/山口県岩国市出身/1857~1918年)。
藤岡 市助(ふじおか いちすけ)
藤岡市助(1857~1918年)は、日本に電気と電球灯を普及させた功労者です。
日本初の電車を設計したのも藤岡市助。
「日本のエジソン」の他に「電力の父」とも呼ばれます。
工部大学校(現・東京大学工学部)卒業の工学博士。
アメリカに行ってトーマス・エジソンと会ったりしています。
そのため後にエジソンとニコラ・テスラの間で電流戦争(交流直流論争)が勃発した時には、藤岡はエジソン側についての直流を支持。
交流を支持するテスラ派の岩垂邦彦(いわだれ くにひこ/1857~1941年/日本電気・現NECの創始者)と対立したそうです。
※岩垂邦彦もエジソンとは親交が深かったそうですが、それでもテスラを支持したそうです。
日本初の超高層建築物、凌雲閣(通称:浅草十二階/1890年竣工/高さ52m・12階)に、日本初の電動式エレベーターを設計・設置したのも藤岡。
※建物本体の設計者はスコットランド人のウィリアム・キニンモンド・バートンWilliam Kinninmond Burton。
10人乗りの籠2基が1階から8階までを昇降し、観光客を大いに喜ばせたそうです。
東芝科学未来館ヒストリーゾーンの藤岡市助コーナーには、その模型があります。
スイッチを押すと外壁面がパカッと開き、2基のエレベーターが昇降します。
りょううんかく自体も
このエレベーターは行政の指導が入りわずか半年で運転を差し止められてしまったそうです。
凌雲閣自体も1923階の関東大震災で半壊したため撤去され、今は跡形もありません。
テスラについてはこのブログをはじめたての頃に記事を書いています。
未読の方にお読みいただけたら嬉しいです。
<後編>に続きます。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。