HSS型HSP🌏Millieの脳内世界

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It is getting hotter.
Be careful not to eat too much cold food.
This year's ducklings will hatch soon.
How many ducklings will we see ?

岸田発言>「異次元の少子化対策」:❶政府が多産を奨励する時は碌な理由じゃない


戦前の日本では富国強兵を目的として多産が推奨されていました。
いわゆる「産めよ殖やせよ」です。


「産めよ殖やせよ」


1939(昭和14)年に日本帝国政・厚生省予防局民族衛生研究会が発表した家族計画運動のスローガン(国策標語)。 

国民精神総動員「結婚十訓」の第十条「産めよ育てよ国のため」が語源。 

(Wikipediaより抜粋)


☟画像は日本の古本屋より。


つまり、鉄砲弾となってお国のために死ぬ男子の予備がいくらでも必要だったんですよ。
そして鉄砲玉生産のためには女子も必要だった。


お隣の国では毛沢東が、当初は「人口が多ければ多いほど国が富む」と言って多産を奨励しました(1949~1972年)。


そしたら人口が増えすぎてどうにもならなくなったので今度は厳格な一人っ子体制にいきなりシフトチェンジ(1973年)。
プライバシーを無視した徹底的な管理体制を敷き、違反者は容赦なく取り締まりました。


そしたら今度は人口構成が歪(いびつ)になりすぎたので、一人っ子政策を撤廃すると同時にいきなり「3人は産みましょう」と言い出した(2016年)。


このように政府が多産を奨励(強要)してくる時はロクな理由じゃありません。



よく「昔の人はたくさん子を産んだんだ!!」と言う人がいますが、それは戦前は乳幼児死亡率が高くて、たくさん産んでも成人する頃には半減していたから。


6人7人きょうだいのうち1人か2人しか成人できなかった等の話も、いくらでも記録に残っています。


生き残れる子供の数が少ない生物(食物連鎖ピラミッドの下層にいる生物)ほど、それを見込んでたくさん産むというのは生物界の法則です。
周りの生物を見渡せばすぐわかることでしょう。



第二次大戦直後に、国のために死ぬ必要が亡くなったにもかかわらず各国でベビーブームが起きたのは、兵隊にとられていた若い男性たちが帰還したためです。


戦争で減少した人口を回復させねばという、種としての意識も働いたでしょう。


また高度成長期頃までは、上の子に下の子の面倒を見させるのは当たり前。
また中学さえ卒業させれば働いてくれる子どもも多かったので、親の負担が今と比べれば軽かったことも要因のはずです。


では現在はどうかというと、まずホモサピエンスという種全体としての人口は、はっきり言って飽和状態です。


具体的な数字を挙げると、日本では1899(明治32)年の新生児死亡率は75/1,000。
乳幼児死亡率は150/1,000。


つまり就学年齢に達するまでに1,000人中225人の子どもが死亡していたことになります。


それが現在では新生児死亡率は4/1,000、乳幼児死亡率は2/1,000です。


40歳まで生存できる確率は約99%。


この状況で出生数を増やしたかったら、もう宇宙進出でもするしかないと思います。


 ☜のび太の宇宙開拓史


その理由は、長くなってきたので1回だけ続きます。