冥王星の発見者クライド・トンボーの数奇な生涯
今日の「今日は何の日」記事から続いています・
苦労人クライド・トンボー(Clyde William Tombaugh)
トンボーは農家の生まれで、家庭の事情により大学進学がかないませんでした。
しかし自作の天体望遠鏡で観察した火星と木星の記録をローウェル天文台に送って認められ、天文台に雇われることになり、ほどなく24歳の若さで冥王星を発見。
☟画像はNASAより。
一躍、時の人に祭り上げられたトンボー。
1932年にカンザス大学に入学し大学院を卒業しますが、博士号は取れませんでした。
修士号取得後、再びローウェル天文台に戻って働きますが戦争で天体観測は中断となります。
終戦後も天文台がもらえる予算は少なく、博士号を持たないトンボ―は呼び戻されませんでした。
トンボ―はミサイル実験場や大学などで働きますが、天文台勤務に戻るチャンスはないまま、生涯に800近い小惑星を発見し、91歳で亡くなりました。
奇しくも彼の最大の功績・冥王星が準惑星に格下げされたのと同じ年の2006年、太陽系外縁天体(冥王星を含む)探査機ニュー・ホライズンズが打ち上げられました。
そのコンテナにはトンボ―の遺骨の一部が納められました。
自分の発見した星との邂逅
トンボ―の遺骨を乗せたニュー・ホライズンズは2015年7月に冥王星に接近。
トンボ―は89年の時を経て自分の発見した星にたどり着いたのです。
ニュー・ホライズンズは現在地球から約70億km離れた太陽系外縁部を、今も航行中です。
画像はニュー・ホライズンズが2015年7月13日に、冥王星まで768,000 kmの距離から撮影したものです。
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