HSS型HSP🌏Millieの脳内世界

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It is getting hotter.
Be careful not to eat too much cold food.
This year's ducklings will hatch soon.
How many ducklings will we see ?

お悔み>マンガ家・寺沢武一さん:代表作「コブラ」


マンガ家・寺沢武一(てらさわ・ぶいち)さんが9月8日にご逝去されました。
1955(昭和30年)生、享年68歳でした。


画像は読売新聞よりお借りしました。


本名は同じ漢字で読みが「てらさわ・たけいち」。



1977年週刊少年ジャンプ増刊号で一話読切の「コブラ」でデビュー。


好評を得て翌1978年から1985年まで週刊少年ジャンプで「コブラ」を連載。
連載話数175話、単行本全18巻(デラックス版は全10巻/文庫版は全12巻)。


「コブラ」全世界発行部数は5000万部。


欧米、特に仏語圏で人気があります。


1977年週刊少年ジャンプ増刊号で一話読切の「コブラ」でデビュー。




好評を得て翌1978年から1985年まで週刊少年ジャンプで「コブラ」を連載。
連載話数175話、単行本全18巻(デラックス版は全10巻/文庫版は全12巻)。



「コブラ」全世界発行部数は5000万部。


欧米、特に仏語圏で人気があります。


下画像は日本の名作漫画アーカイブシリーズ・大解剖ベストシリーズ 「コブラ大解剖」
(株式会社 三栄・刊)よりお借りしました。


多くのマンガ家に影響を与え、「北斗の拳」の原哲夫氏(1961年生)も「寺沢武一に憧れて」マンガ家を目指したと公言しています。


実は原哲夫氏は寺沢武一氏のアシスタントにも志望したそうですが
「線(ペンタッチ)が合わない」
という理由で採用されなかったそうです。


マンガ家の価値観も様々で、自分と全く線(ペンタッチ)の違うアシスタントを気にせず使う人もいます。


主要キャラクターととモブ(端役)の顔立ちが余りにも違い過ぎて違和感を覚えるものです。


寺沢氏は絵にこだわる人だったので、どんなに絵が上手くても自分と線の違うアシスタントはダメだったようです。


一方で、ジャンプの新人漫画賞の審査員をやっていた時は「絵が下手」という理由で編集長が落選にしかけた荒木飛呂彦氏を、「ストーリーが上手いから!」と主張して当選にしたというエピソードもマンガオタクの間では有名です。


デビュー当時の荒木飛呂彦氏の作風は下の通り。
⇩確かに絵は下手。


しかしストーリーテラーの才能は皆さまご存じの通り。
デビュー後の絵の上達っぷりもミラクル。


⇩現在の最新画風はこちら。


ここまで画力が激変することを寺沢氏が予期していたかどうかは定かではありませんが、才能を見極める目は編集長より上だったということですね。


68歳とは若すぎます…。
安らかにお眠りください。