今日は何の日>1月27日:ハワイ移民出発の日
昨年は「国旗制定記念日」をご紹介しました。
今年はこちらをご紹介いたします。
ハワイ移民出発の日
1885(明治18)年1月27日に日本からハワイへの移民船第一号が横浜港を出航したことにちなむ。
画像はnoteよりお借りしました。
ハワイが移民を募集したのは、砂糖産業従事者の人出不足が理由です。
1835年に西欧人がカウアイ島で砂糖キビ栽培に参入したことがきっかけでした。
ハワイ王国(当時)のサトウキビ栽培は、瞬く間に西欧人オーナーによる大規模プランテーション(資本に物を言わせた単一栽培)形態に変化します。
1849年にはハワイ王国とアメリカの間に和親条約が結ばれ、ゴールドラッシュに湧く米国西海岸に向けて大量の砂糖がハワイから輸出されました。
南北戦争(1861~1865年)が始まるとアメリカからの砂糖の輸出要求量はさらに増大します。
当時のアメリカにおける砂糖生産の中心地が南部だったためです。
戦争により北部(東部・西部を含む)が砂糖不足になってしまったのです。
一方でネイティブハワイアンの人口は、西欧人が持ち込んだ病気等が原因で減少していました。
1820年の推定数人口13万人が30年後の1850年には8万人という激減ぶりです。
拡大の一途をたどる砂糖産業がもっともっとと労働人口を欲するのに、ハワイ人の人口は減少の一途。
慌てたハワイ王国は1852年に外国移民の受入れを決定し、中国から初の移民を受け入れます。
1864年にはハワイ王国第5代国王カメハメハ五世(当時)が移民局を発足します。
1881(明治14年)には、第7代国王カラカウア王(当時)が来日して明治天皇に謁見。
日本人移民を要請し、明治天皇もそれに応じます。
1885年(明治18年)から日本政府が正式に認めた「官約移民」が開始されたというわけです。
そこから1893年のハワイ王国滅亡※までの8年間で、3万人弱の日本人がハワイに移住しました。
※ハワイ経済を支配していた米国入植者がクーデターを起こし、第8代国王リリオカラニ女王に廃位を迫り、成功したもの。
悲劇の女王リリオカラニ。
ネイティブハワイアンの美的感覚では、近年まで「オーバーサイズの方が美人」だったということを忘れてはいけません。
日本政府は女王支持派からの依頼を受け、東郷平八郎率いる軍艦「浪速(なにわ)」(
1884[明治17]年建造英国製)他2隻をハワイに派遣します。
名目上は「邦人保護のため」としつつクーデター勢力を威嚇するも、アメリカ側はあまり意に介さなかったようです。
1898(明治31)年にハワイはアメリカの属領とされ、米自治領ハワイ準州となりました。
1924(大正13)年には排日移民法が施行され、日本からの移民は禁止されます。
1959(昭和34)年にはアメリカ50番目の州・ハワイ州に格上げされました。
ハワイ王国初代カメハメハ王の銅像画像はクラブツーリズムよりお借りしました。
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