今日は何の日>3月4日:バウムクーヘンの日
一昨年は「差し入れの日」をご紹介しました。
昨年は「ミシンの日」をご紹介しました。
今年はこちらをご紹介いたします。
バウムクーヘンの日
株式会社ユーハイムが2010(平成22)年に制定。
1919(大正8)年3月4日に日本で初めてバウムクーヘンが販売されたことにちなむ。
広島県物産陳列館(のちの原爆ドーム)で行われた「ドイツ俘虜(=捕虜)展示即売会」というものが催されました。
第一次大戦で日本軍に捕らえられたドイツ人捕虜に作らせたものの即売会です。
今でもよく矯正展(刑務所作業製品展示即売会)というのが催されています。
新宿西口広場イベントコーナーでも年に数回お目にかかります。
あれの外国人捕虜版です。
菓子職人カール・ユーハイム( Karl Joseph Wilhelm Juchheim)氏は、当時ドイツ租借地だった中国青島市で菓子職人として働いていました。
ユーハイム氏の画像はWikipediaよりお借りしました。
1914(大正3)年に第一次世界大戦が始まると、青島市はドイツに宣戦布告した日本軍の攻撃を受けて陥落。
ユーハイム氏は非戦闘員だったにもかかわらず、捕虜として日本に連行されました。
初めは大阪俘虜収容所に入れられますが、そこでインフルエンザが流行したため広島県の似島検疫所に移送されます。
そして広島県が主催した展示即売会にバウムクーヘンを出品。
好評を得ます。
ユーハイム氏が「日本人はバターを多用する正統レシピの洋菓子は苦手である」ことに気付き、日本人向けにアレンジしたバウムクーヘンを作ったのが好評の理由だったそうです。
1918(大正7)年、ドイツが連合国との間に休戦協定を結んだため第一次世界大戦は事実上終戦。
日本のドイツ人捕虜も解放され、ほとんどの人が母国への帰国を希望する中、ユーハイム氏は日本残留を選びます。
青島市に帰ろうとしたら現地ではコレラが流行していたこと、バウムクーヘンの好評を聞いた明治屋から「銀座に開店した喫茶店の製菓部主任に」とオファーがあったことなどが日本在留を決めた理由となったようです。
1922(大正11)年には独立して横浜に喫茶店「ユーハイム」を開店するものの、翌1923(大正12)年の関東大震災で店は焼失。
神戸に移って再起を図り、成功します。
これが今も続く「ユーハイム」。
ユーハイムは「日本で初めてバウムクーヘンを販売した」に加え「日本で初めてマロングラッセを販売した」店でもあります。
ユーハイム氏は終戦前日(1945年8月14日)に亡くなり、夫人が社長を引き継ぎます。
しかし夫人も無くなると後継者が不在になりました。
一人息子は第二次世界大戦で戦死、その妻子はドイツに帰国していたためです。
出資者の一人だった河本春男氏が3代目社長を引き継ぎます。
以降、4代目河本武氏、5代目河本英雄氏(現社長)と、河本家が社長を継承しています。

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