今日は何の日>4月16日:チャップリンデー
昨年は「エスプレッソの日」をご紹介しました。
今年はこちらをご紹介いたします。
チャップリンデー
20世紀を代表する「喜劇王」と呼ばれたチャールズ・チャップリンCharles Spencer Chaplin(1889~1977)の誕生日です。
画像はMovie Walkerよりお借りしました。
チャップリンは1889(明治22)年4月16日、ロンドン生まれとされていますが、公式な出生記録は残っていないそうです。
両親は共にミュージック・ホールの芸人でした。
父チャールズ・チャップリン・シニアは人気歌手でしたが、母ハンナは全く売れない大部屋女優でした。
母は別の男性(名前は不明)との間に異母兄シドニー・チャップリン(1885~1965)を産んでいて、連れ子を連れてチャールズ・シニアと結婚しました。
しかし両親はチャールズが2歳の時に別居してしまいます。
別居の翌年、ハンナはやはり芸人仲間のレオ・ドライデンとの間に異父弟ジョージ・ウィーラー・ドライデン(1892~1957)も産みますが、ジョージは父レオが引き取ってしまい、チャールズとは30年近く音信不通でした。
別居中の父からは養育費の支払いがなく、ハンナと子供二人は救貧院に収容されます。
チャールズ8歳、兄シドニー12歳の時でした。
しかし間もなくハンナは栄養失調と梅毒が原因で精神病を発症し、矯正院に強制収容となります。
そこでやっと父がシドニーとチャールズを引き取ります。
しかしかつて売れっ子だった父は、その頃には重度のアルコール依存症に陥っていて、子供たちの世話ができる状態ではありませんでした。
結局母の精神病院退院を待って、二人は再び母と暮らすことになります。
チャールズは幼くして舞台デビューし、旅の一座に入りイギリス各地を巡業し始めます。
一方、兄シドニーは年齢を詐称して船乗りの仕事を得て稼ぎ始めます。
1913年、チャーリーは24歳でアメリカのキーストンスタジオ(映画産業初期に設立)と契約。
映画界入りを果たし、スターへの道の第一歩を歩き始めます。
23歳頃のチャールズの画像はWikipediaよりお借りしました。
チャールズが売れ始めると、シドニーはマネージャーに立候補します。
その後チャールズが30歳を過ぎた頃には異母弟ジョージとも再会。
ジョージもまたチャールズのマネージメントに加わります。
それぞれ父親は異なるも、仲の良い三兄弟だったと言われています。
弟ジョージは1957(昭和32)年に65歳で、兄シドニーは1965(昭和40)年に80歳で亡くなります。
そして1977(昭和52)年12月25日、チャールズは88歳で亡くなります。
死因は脳卒中でした。
55歳のチャップリンと、3人目(4人目説もあり)の妻・ウーナ。
こちらの画像はWikipediaよりお借りしました。
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