「知床旅情」の歌詞に出てくる「ピリカ」とは何のこと?
葛西臨海博物館の記事に対して
以下のようなコメントをいただきました。
そもそも「知床旅情」とは?
「知床旅情」は1960(昭和35)年に発表された森繁久彌作詞・作曲の楽曲です。
森繁久彌氏(1913~2009)はみなさん俳優としてご存じだと思います。
しかし実はいわゆるシンガーソングライターのハシリのような存在でもあり、自信で作詞作曲した楽曲を歌っていました。
「知床旅情」の歌詞はこちらです。
「知床旅情」
知床の岬にハマナスの咲くころ
思い出しておくれ俺たちのことを
飲んで騒いで丘に登れば
遥か国後(クナシリ)に白夜は明ける
旅の情けか呑むほどにさ迷い
浜に出てみれば尽き果てる波の上
今宵こそ君を抱きしめんと
岩陰に寄ればピリカが笑う
(3番割愛)
森繁氏は映画「地の涯(はて)に生きるもの」(1960年10月公開)の撮影にために知床半島の羅臼村(現・羅臼町)を訪れました。
この映画の劇中歌として森繁氏は「オホーツクの舟唄」を作詞作曲しました。
「オホーツクの舟唄」の歌詞はこちらです。
「オホーツクの舟唄」
何地(いずち)から吹きすさぶ朔北(さくほく)の吹雪よ
私の胸を刺すように
オホーツクは今日も海鳴りの中に
明け暮れてゆく
(2番~6番割愛)
撮影を終えて東京に帰る日に、森繁氏は村人の前で「オホーツクの舟歌」の曲に即興で別の歌詞を乗せ、「俺たち(撮影隊)のこと、時々は思い出してね~」と唄いました。
その「オホーツクの舟歌・歌詞変えバージョン」が「知床旅情」です。
歌詞の言葉遣いが妙に高尚で覚えにくい「オホーツクの舟歌」に比べ、男女の色恋をほのめかすなど庶民的な内容で歌いやすいこの歌詞変えバージョンの方が、大ヒットしてしまいます。
森繁久彌氏歌唱版のレコードが1970(昭和45)年に発売されると飛ぶように売れ、さらに倍賞千恵子・加藤登紀子といった当時の大人気歌手もカバーしたため、人気はさらに急上昇。
1971(昭和46)年度第13回レコード大賞も受賞しました。
そして本題の「ピリカが笑う」とは
ピリカはアイヌ語で「美しい」という意味です。
森繁氏はこれを「ピリカメノコ(美女)」の意味で使いました。
※メノコ=女(メ)の子(コ)。アイヌ語で女性のこと。
「今宵こそ君(意中の女の子)を抱きしめようと、岩陰に(その女の子を)連れて行ったら美女(その女の子)が笑った」
つまり、嫌がられず、両想いになれたということです。
つまりピリカは人間の女性(妙齢の美人)のことでした。
下は北海道郷土土産「ピリカメノコ」。
実は羅臼で「ピリカ」は別の意味だった
しかし曲が大ヒットした後で森重氏は知ってしまいます。
羅臼地方で「ピリカ」を単独で名詞用法として使う場合、それは通常
「ホッケの幼魚」
の意味だということを。
やーっちまったぜ。
森繁氏はこの誤用を、のちのちまで気にしていたという話です。
しかしマスコミの影響力は絶大です。
「知床旅情」が大ヒットしたために、現地知床においても1970年以降は「ピリカ=美女」で通用するようになってしまった
ということです。
では、「エトピリカ」とは?
エトゥetuはアイヌ語で「鼻」。
つまり「エトピリカ etu pirka 」は「美しい鼻」という意味のアイヌ語です。
この鳥の鮮やかなオレンジ色の鼻(鳥においてはクチバシ)から命名されたアイヌ語源の名前です。
画像は海遊館よりお借りしました。
バイオリニスト葉加瀬太郎氏の代表曲「エトピリカ」は、ズバリこの鳥のことです。
しかし葉加瀬太郎氏はこの曲に鳥の名前を冠した理由を明らかにしていません。
動画は葉加瀬太郎オフィシャルより。
葉加瀬太郎エトピリカ【OFFICIAL】
この記事に続きます。
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