<前編>伊達政宗から右目を奪った天然痘と、眼帯の話
この記事からゆるっと続いています。
致死率4割~5割という高さで、奈良時代には当時の日本人口の25~35%を死亡させたと推定されている恐怖の感染症、天然痘。
何とか死なずに回復しても、顔を含む全身の皮膚に疱瘡の痕である痘痕(「あばた」と読む)が一生涯消えることなく残りました。
通常、疱瘡は皮膚にできましたが、眼球の角膜にできる場合もありました。
角膜に疱瘡(水ぶくれ)ができ炎症を生じ、炎症で角膜が破壊されて委縮。
機能を失い、失明するケースも多かったようです。
かつて、日本人の失明の原因の一位が天然痘でした。
「独眼竜」伊達政宗も、5歳頃、まだ幼名・梵天丸だった頃にかかった天然痘が原因で、右目を失明しました。
右目だけで済んだのは不幸中の幸いでした。
もし両目を失明していたら、いくら嫡男とはいえ家督は継げなかったでしょうから。
近代の創作もの(ドラマ、映画、マンガ、アニメ等々)で伊達政宗といえば、必ず枕詞が「独眼竜」で、そして必ず右目に眼帯をした姿で登場します。
特に眼帯は、もはや正宗のマストアイテムとなっています。
いらすとやだってこう⇩です。

しかし、実際には付けていなかったと考えられています。
眼帯を付けた肖像画が一枚もないためです。
生前に描かれた肖像画では必ず左目を開け右目を閉じた姿で描かれていますが、本人はそれすらも嫌だったようです。
「両の目を備えよ」
つまり
「(死後に描かれる肖像画では)両目を開けた姿にしてくれ」
と遺言を残しました。
そしてその遺言は今でも守られています。
現在、仙台城址と仙台駅に建つ有名な「伊達政宗公騎馬像」も、遺言を守ってしっかり両目を開けた姿です。
仙台城址の伊達政宗公騎馬像は、1935(昭和10)年に政宗没後300年を記念して造られました。
第二次大戦が始まると、1941(昭和16)年の金属供出令で政府に強制改宗されてしまいますが、1964(昭和39)年に初代と同じ鋳型を用いて忠実に再建。
現在のものは再建された二代目ですが、しっかりと両の目を開けて仙台市街を見据えています。
画像はGO GO MIYAGIよりお借りしました。

没収された初代は、終戦後、胸から上だけの部分が発見されました。
馬の部分は溶かされて,、兵器に造り替えられたのでしょうか。
発見された初代の一部は、現在「伊達政宗公胸像」として仙臺緑彩館前に据えられています。
画像は毎日新聞よりお借りしました。

ちょっと長くなってきたので続きます。



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