俳優>時代劇俳優>大川橋蔵:昭和の大スタァ❶歌舞伎の女形だった❗️
大川橋蔵さんを連続してネタにしましたら
muragonブロガーのyabusame様からこんなコメントをいただきました。
私もそう詳しくはないのですが、少々書き足りない気持ちもありました。
なので、もう少し大川橋蔵さんの人物像を書こうかなと思います。
大川橋蔵さん(1920年生〜1984年没)は芸妓さんの子として出生。
生後間も無く小野家に養子に出され小野富成さんと命名されます。
詳細は分かりませんがお母さんが未婚だったのかなと想像します。
養父は歌舞伎役者の市川瀧之丞さん(市川は芸名、本名は小野)。
富成君は6歳で市川男女丸(いちかわおめまる)の芸名で舞台デビューしました。
そこで六代目尾上菊之丞に素質を見込まれます。
15歳になった時、六代目菊之丞は富成少年を妻の養子にして妻の実家を継がせました。
正式な夫婦なのに「妻(だけ)の養子」にできることが不思議ですが、戦前なので
今と戸籍方も違っていたでしょう。
富成少年は2度目の養子縁組で丹羽富成さんになり、同時に2代目大川橋蔵を襲名しました。
丹羽は六代目菊之丞の奥さんの実家の姓だそうです。
奥さんの養子になったのに苗字は奥さんの旧姓になる。
やっぱり戦前の戸籍法は摩訶不思議です。
大川橋蔵襲名後は主に女形を演じていたそうです。
女形の時の写真
出典元:
香港の通販サイトで橋蔵さん直筆サイン入りの女形時代のブロマイドが
売られているのを発見してしまいました😵
あらまあ可憐。
https://funbid.com.hk/yahoojp/auctions/
スクロールが長くなってきたので
❷(後半)に続きます😁
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