技の1号、力の2号を解説する②1号の労災バイク事故
この記事の続きです。
ぜひ先にご一読ください。ぺこり。
1号ライダー、負傷
知ってる人は知っている(知らない人は知らない)エピソードですが、仮面ライダー撮影開始時は、いまや特撮界の帝王・東映㈱も、まだ特撮撮影について手探り状態だったようです。
なので、今のようなアクション専門のスーツアクターを使っていなかった。
そこで、仮面ライダーの変身前/本郷猛も、変身後/中の人も、藤岡弘(当時はまだ「、」がない芸名だった)が全部1人でやっていたそうです。
特撮ヒーローものにつきものの、トランポリンアクション(トランポリンで飛び上がり空中回転したりキックポーズを決める、アレ)や、もちろんバイクアクションまで全部。
ご存じライダーキックもトランポリンアクション。
中国映画のようにワイヤーで吊ったりはしてません。
放送当時(1970年代)には、トランポリンという仕組みを知らず、真似して塀や崖から飛び降りて負傷する、主に小学生男児が多数発生。
中には死亡事故まであったそうです。
良い子のみんな!世の中には裏があることを学ぶんだ!!
そうすると、まあ当然といえば当然ですが、撮影中にバイクがスリップ➡転倒事故。
藤岡弘は大腿骨粉砕骨折で全治6か月の重傷。
そこで急きょ
「1号は任務で欧州に行った!日本の平和は2号が守る!」
という設定がひねり出され、2号ライダーが爆誕したらしいです。
慌てた東映は、この事故以降スーツアクター(アクション俳優)を別起用。
顔出し俳優には、危険なアクションをやらせないようになりましたとさ。
ニンゲン、痛い目見ないと気づかないものなのですねえ。
またまたブッシュドクターのお話
余談ですがwiki情報によると、藤岡弘が最初に担ぎ込まれた、撮影現場に近い東京都町田市の某病院は、とんでもないブッシュドクター(ヤブ〇〇)だったようです。
設備が整っていなかったし、外科手術の評判も悪かったらしいです。
そこで藤岡氏は、知人に紹介してもらい、設備の整った都心の病院へ転院しての外科手術を希望したそうです。
患者としては当然の判断ですよね。
ヘタすると一生車椅子になる危険もあるんですから。
ところがなんと、病院側が拒否ったそうです。
強烈だな!
確かに昭和の頃は、その辺のコンプライアンスがゆるゆるだったようですね。
面子(メンツ)だの沽券(コケン)だのと言って、自分の腕(のまずさ)を棚に上げて患者の転院を心底嫌悪する、腐った病院がゴロゴロあったという話は、今までにもよく聞いてます。
しかし、こりゃひどい。
それでも転院を強行するのなら、勝手にやれ!とばかりに、転院する藤岡氏にレントゲンも渡さなければ、移動のストレッチャーすら出さなかったそうです。
今なら訴えられるし、少々頼りない弁護士でも勝てるケース。
というか、そんなヤブ医者、今も営業してるんでしょうか?
さすがに医者は代替わりしてるでしょうが、そんなDNA引き継いでる病院が、もしまだ潰れてなかったら恐怖ですね。
病院名は(wikiでは)伏せられてますが、
町田・相模原近辺にお住まいの方はご注意ください。
では、次は③2号ライダー編に行きます。
続く☛

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