馬>日本史上最強名馬・生喰(イケヅキ)の人気っぷり
今朝の記事でちょこっと触れた、源頼朝の愛馬として有名なイケヅキ。
文献によって生喰、生食、生唼、生月、池月と5種類の表記が見られます。
食、喰、唼は同じ意味(同意異字体)です。
非常に気性の激しいオス馬だったと伝わり、
「人間にでも他の馬にでも何にでも噛み付く気性の荒さ」
「生き物を生きたまま食らいかねないほどの荒々しさ」
を褒め称えて名付けられたと言われます。
草食動物なのに。
馬の家畜化が始まったのは5,500年前のユーラシア大陸でした。
そして牡馬の去勢は家畜化と同時に行われ始めました。
特に軍用馬は日本以外の国では全て去勢済個体を使用します。
軍馬はあくまで輸送手段であり兵器ではありません。
そのため去勢して激しい気性を抑え扱いやすくする方が便利だからです。
また戦いに負けて名馬を敵に奪われた場合でも、敵がその名馬の子孫を繁殖することができないようにする意味もあったと言われます。
日本にも当然中国経由で「馬を去勢するメリットの話」は伝わったはずです。
しかし日本人は全く受け入れませんでした。
もう一つ、蹄鉄(ていてつ)も日本は明治時代までは受け入れませんでした。
代わりに藁で編んだ草履(わらじ)をはかせていました。
人間も馬も同じ草鞋(形が違うだけ)を履いていたのです。
日本人はなかなか不思議な民族です。
👇下は太田記念美術館所蔵の浮世絵です。
草鞋を履いています。
歌川広重画。
<日本史にその名を残す名馬の一例>
源頼朝 :生喰(いけづき)/麿墨(するすみ)
源義経 :太夫黒(たゆうぐろ)
武田信玄 :黒雲(くろくも)
山内一豊 :鏡栗毛(かがみくりげ)
加藤清正 :帝釈栗毛(たいしゃくくりげ)
長宗我部元親:内記黒(ないきぐろ)
島津義弘 :膝跪騂(ひざつきくりげ)
上杉謙信 :放生月毛(ほうしょうつきげ)
本多忠勝 :三国黒(みくにぐろ)
真田幸村 :真田栗毛(さなだくりげ)
黒(墨)、栗毛、月毛など馬の色にからめた名前が目立ちます。
その中で生喰(いけづき)はその気性だけを表した名前で異彩を放っています。
ちなみにイケヅキは芦毛だったようです。
黒鹿毛:黒
栗毛:黄褐色
月毛:黄白色
芦毛:灰色(加齢とともに白くなる)
日本でのイケヅキ人気の高さを示すもののひとつに
「イケヅキの産地(生まれ故郷)」
を名乗る場所が、日本全国北から南まで何か所もあることがあげられます。
🐎宮城県大崎市
かつて池月沼という沼があり、池月村と馬を祀った池月神社があったと言われる。
🐎千葉県鴨川市
馬堀町の馬頭観音境内には蹄の井(ひづめのい:イケヅキが地面を蹴ると湧き出したという泉)が残り、池月の石像が建つ。
🐎東京都大田区
洗足羽田神社にイケヅキ伝説が伝わり、洗足公園内の洗足池には「池月橋」がかかり、園内の千束八幡神社の敷地には池月の銅像が建つ。
近所の東急大井町線北千束駅は、開業当初「池月駅」という名前だった。
🐎鳥取県鳥取市
駟馳山(しちやま)の山裾に「イケヅキ生地」の石碑がある。
洗足公園のイケヅキ銅像。
画像は全てフォートラベルより。
「イケヅキ終焉の地」を名乗るところもあります。
🪦神奈川県座間市
イケヅキを葬った上に建てられたという駒形明神の跡に馬頭観音が現存。
頼朝のもう一頭の愛馬・磨墨(スルスミ)の産地を名乗る場所も全国に負けじと存在します。
下の画像は磨墨の産地を名乗る中の一つ、東京都大田区馬込の満福寺境内の磨墨石像。
江戸時代まで馬の去勢を頑なに受け入れなかった日本ですが、明治に入り軍馬として西洋種の馬の輸入を始めた時にようやく去勢を受け入れました。
競走馬では去勢オスは「騸馬(センバ)」と呼ばれています。
👇下は月岡芳年の浮世絵。
手前が磨墨、奥が生喰です。
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