風景>新宿区の犬屋敷跡(5代将軍徳川綱吉時代)
今日の午前中ご紹介した、抜弁天厳嶋神社。
のある一帯、約2万3,000坪=約76,000平米=約7.6ヘクタールは徳川5代将軍綱吉が造った犬屋敷跡です。
最大約1万頭が収納されたらしいです。
つまり1頭あたりの面積は7.6平米=約2.3坪=約4畳半大。
4畳半の部屋に犬1頭とイメージしてみてください。
そのころの野良犬のサイズはほとんどが中型犬(ソフトバンクのお父さん犬の大きさくらい)でした。
なので広いとは言えません。
しかし、当時の江戸の町民は4畳半一間に小さな土間の付いた風呂なしトイレ・井戸共同の長屋に夫婦と子供数人で住むのが標準でした。
つまり貧乏な人間よりは上だったと言えます。
しかしそれでも手狭になり、犬屋敷はもっと広い土地(現在の中野区)に移動。
この地にあったのはわずか2年半だったと記されています。
👇抜弁天から大江戸線若松河田駅に行く途中にありました。
中野の犬屋敷は約30万坪=約100万平米=約100ヘクタール=東京ドーム21個分に拡大。
最大30万頭の犬が収容されたそうです。
なぜ中野にこうも広大な敷地が確保できたかというと、元々中野一帯は徳川幕府直轄地。
御鷹場(将軍が鷹狩りを楽しむ場所)として人家はなく、広大な野原だったのです。
しかし生類憐れみの令により当然鷹狩りも禁止。
御鷹場は広大な休閑地と化しました。
なので犬屋敷を持ってきたというわけです。
中野の御鷹場は8代将軍吉宗が復活させました。
30万坪に30万頭となると、1頭あたり1坪=3.3平米=2畳。
あれ、新宿区の頃の約半分に狭くなってしまいました😅
中野区の犬屋敷(御囲い)についてはまたそのうち書きます。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。