11月19日>一茶忌(小林一茶命日)
俳人・小林一茶の命日です。
宝暦13(1763)年~ - 文政10(1828)年。
本名・小林弥太郎、俳号・一茶。
「一茶調」と呼ばれる独自の俳風を確立。
3歳で実母を亡くした一茶は継母との折り合いが悪く、そこそこ裕福な自作農の長男であったにもかかわらず家を継がせてもらえなかった。
※ママハハが自分が産んだ子供を跡取りにするため前妻の産んだ長男に意地悪をして追い出すというのは、昔はあるあるでした。
手前味噌ですがエンドウミリエ(仮名)の父方の祖父もほぼ同じ境遇でした。
自作農の長男として生まれるもすぐに母を亡くし、後妻がポコポコと男児を生みまくり、その子らに土地を継がせるために長男の祖父は追い出されております。
一茶は15歳で江戸に奉公に出され、そこで俳句と出会います。
3度の結婚をするが生まれた子どもたちは一人も育たず、また門下生たちの中からも一茶の後継者は現れず、独特の一茶調を引き継ぐ者も出ませんでした。
そのため江戸時代における一茶の評価は高くありませんでした。
むしろ「格調高くない(俗っぽい)」とされる傾向だったようです。
一茶の名が知られるようになったのは明治時代中期。
正岡子規が一茶を評価してからと言われています。
一茶の句作の特徴として真っ先に挙げられるのは、まず2万句以上という多作。
また自身の私生活の苦労続きを反映して、生活苦や人生の矛盾を詠んだ句の多さ。
反面、苦労の反動からか子どもや小動物といった弱者に温かい眼差しを向けた句の多さ。
生き物を詠んだ一茶の句の中から有名なものを挙げてみます。
- 我と来て 遊べや親のない雀
- 痩せ蛙 負けるな一茶ここにあり
- やれ打つな蝿が手をすり足をする
- 雀の子 そこのけそこのけお馬が通る
【雀の子よ。早くどかないと馬に踏みつぶされてしまうよ】
- 春雨や食はれ残りの鴨が鳴く
【春雨の中、冬(鴨の猟期)に幸運にも猟師に捕まらず食われ残った=冬を生きのびた鴨が鳴いている】
- 蟻の道雲の峰よりつづきけん
【夏空の炎天下、蟻が長い長い列を作っている。あの入道雲からずっと続いているのではなかろうか】
- 秋風に歩いて逃げる蛍かな
【夏には飛び交っていた蛍も秋風が吹く頃になると飛ぶ力を失ってしまう。風に吹かれてよろよろと逃げるように歩く姿は何とも哀れだ】
雀や蛍はともかく、ハエやアリといったおよそ他の俳人が詠まなそうな題材も詠んでしまう。
しかもハエが命乞いをしてるから殺すのはおよしなさいといった独特の感性。
確かに格調高くはない。
代わりにぽっと心が温かくなる。
一茶の2万句にも及ぶ俳句はほぼ全て「生」をテーマとしていると言われています。
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