HSS型HSP🌏Millieの脳内世界

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It is getting hotter.
Be careful not to eat too much cold food.
This year's ducklings will hatch soon.
How many ducklings will we see ?

横浜散歩>⑦馬場の赤門とは?東大赤門との違いは?

入江川せせらぎ緑道は、ゼロ距離野鳥出現率が異常に高い東西約600mと、途中から分岐して入江川湧水池(注:今は普通の児童公園で池はありません)に至る400mくらいに分かれています。


入江川湧水池の手前にあるパン工房椎の実(残念ながら日曜は定休でした)の前から馬場花木園を目指して歩きます。


途中に「昔はこの辺りまで海岸線が来ていた」という内容の手書きの看板がありました。


それを過ぎると今度は何やら立派な赤い門が建っていました。


パン工房椎の実からは300m徒歩4分です。




「馬場赤門公園」と表示されています。


写真を撮りましたが日差しが強くて影が黒く潰れ、肝心の赤がいまいち目立ちません。



そこでフォートラベルからも画像をお借りします。


赤門といえば有名なのは言うまでもなく東大赤門ですよね。


画像は東大公式より。


東大赤門は、加賀前田家が徳川家の姫を嫁取りするために造った婚礼用の門です。
江戸時代は大名家が将軍家の姫を嫁にもらう場合は朱塗りにした門を造りそこから迎え入れなければならない決まりがありました。


東大赤門の他にも東京都区部にはいくつかの赤門があったそうです。


はい、ここで
「地方の藩主である大名家に嫁に行くのなら、赤門も地方に建てられたのではないの??」
と思った方へ。


江戸時代は、大名の妻子は将軍家の人質として江戸に住まなくてはならないという決まりがありました。


夫である大名は1年おきに江戸と領地に交代で住みます(参勤交代)が、妻子が夫に同行して領地に行くのは禁止。
江戸から動けなかったのです。


大名にとっては自分の領地にいる間がまるで単身赴任※のような様相。
それが「参勤交代」だったのです。


※だからどの大名も領地に側室は置いてましたけどね。


そのため徳川家から嫁を貰った大名は、自分の江戸上屋敷(大名本人と妻子の居住用屋敷)に赤門を造ります。
そのため赤門は現在でいうところの山手線の内側に集中しました。


さて話が長くなりましたが、そういうわけなので江戸を遠く離れたこの横浜市鶴見区馬場に大名家の婚礼用の赤門が建つはずはないのです。


なので由来を調べてみました。


まずWikipediaはありません。


横浜市公式には由来が載っていません。


個人のブログを複数読み比べて概要がわかりました。


<馬場の赤門(正式名称:旧澤野家長屋門)>


  • 鶴見・馬場の名主(東寺尾/北寺尾/西寺尾/馬場の4ヶ村総代名主で、身分は百姓ながら名字帯刀を許されていた)を勤めた澤野家の表門。
  • 安政2(1855)年頃の建築。
  • 幕府から特別の許可を得て朱塗り(紅柄塗)にされた
  • 横浜市の歴史的建造物に認定されている。


その肝心の「特別の許可」の経緯がどこにもない。


うーん、謎。


ここからいよいよ馬場花木園に向かいました。


⑧馬場花木園と雛飾りに続きます。