今日は何の日>3月5日:ミスコンの日
1907(明治40)年9月、アメリカのシカゴ・トリビューン紙が「ミスワールドコンテスト」を企画した。
日本予選は時事新報社が打診を受け、1908(明治41)年3月5日に「日本美人写真募集(良家の淑女写真コンクール)」と銘打って大々的な全国キャンペーンを展開した。
参加は未婚の素人女性限定。
プロ(芸妓・女優・職業モデルなど)は参加不可で自薦他薦は問わなかった。
これが日本初のミス・コンテスト(ミスコン)となったことにちなむ。
制定者は不明。
<時事新報社>
1882(明治15)年3月に福澤諭吉が創立した日刊新聞社。
戦前の五大新聞の一つだったが1936(昭和11)年12月廃刊。
東京日日新聞(現:毎日新聞)に合併された。
7000人の応募者の中から1等に選出されたのは、当時の福岡県小倉市長・末弘直方の四女・ヒロ子。
当時16歳で学習院(当時の学長は乃木希典/陸軍大将で現在乃木神社に祀られている、あの人)の女子部3年在学中でした。
ところが女学部長にコンテスト参加を問題視され、退学処分を受けてしまいました。
末弘ヒロ子(1893~1963)
しかし当時の女性は学歴よりも美貌の方が重んじられたため、退学歴は全く問題にならず、むしろ数百件の見合い話が殺到したそうです。
その中から侯爵野津道貫(当時は陸軍大将)の長男・鎮之助(後に貴族議員)と結婚。
ヒロ子の姉の孫はジャズピアニスト山下洋輔(1942~)。
画像はWikipediaとヤマハより。
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