真実はいつも一つVS真実は人の数だけある:日本語として正しいのはどちら?
工藤新一さんVS久能整さん
江戸川コナン(工藤新一)君の持論。
「名探偵コナン」©青山 剛昌
久能整(くのう ととのう)君の持論。
㊟人名です。
「ミステリと言う勿れ」©田村由美
作品としての面白さや私やあなたの好みの問題は太陽系の彼方に置いといて。
日本語としてはどちらが正しいでしょうか?
<結論>
日本語としては久能整君が正しい。
<解説>
事実は実際に起きた事柄、真実はその事柄に対する解釈が入るということです。
事実には人が関与しないが、真実には人が関与する。
面白いのは、だからこそ、事実には反論できませんが、真実には反論できるということです。
(東洋経済より)
「ありのままの姿」は誰にも見ることができない
「目に映ったものをありのままに見る」ことは不可能です。
脳は目に映った情報を自動的に整理して、整理したものを意識に上げて本人に認識させるというプロセスを自動で行っています。
目に映ったもの → 脳の編集 → 意識というルートをたどり、目と意識はダイレクトにつながっていない。
つまり、物事を「ありのままに」見ているわけではありません。
この記事より引用。
➡続編「真実・事実問題から考えるLGBTQ問題」に続きます。
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