今日は何の日>3月30日:アラスカがアメリカになった日
昨年は「妻がうるおう日」をご紹介しました。
今年はこちらをご紹介いたします。
アラスカがアメリカになった日
太古の昔、アラスカはベーリンジア平原(現在は水没しベーリング海峡)でユーラシア大陸とつながっていました。
その頃、アフリカ大陸で発生したホモ・サピエンスは、新たなテリトリーを求めてグレート・ジャーニーを始めていました。
グレート・ジャーニーとは、アフリカ大陸を出たホモサピエンスが徒歩で世界中に拡散した旅路のことです。
ヨーロッパから東進しアジアを経てさらに東進しした人類は、シベリアからアラスカに渡り北アメリカ大陸と南アメリカ大陸を縦断、南アフリカ最南端までその生息域を広げたのでした。
ベーリンジア平原を歩いてアメリカ大陸に渡ったのは、モンゴロイドです。
彼らは今、アメリカ先住民(ネイティブアメリカン)と呼ばれています。
大別すると、ツンドラ地帯先住民(エスキモー/ユピク)とその他地帯先住民(アメリカンインディアン)です。
17世紀になるとロシア帝国がアラスカに進出。
1799年にロシア領アラスカになります。
その後、クリミア戦争(1853年~56年/ロシア帝国対オスマン帝国・フランス・イギリス・サルデーニャ連合軍)に敗北したロシアは財政難に陥り、アラスカをアメリカに売却します。
1867(慶応3)年3月30日に条約が調印されました。
値段は720万ドルでした。
当時の1米ドルは、日本では1両と等価でした。
幕末期の1両は現在の価値に直すと約20万円と言われています。
つまり720万×20万だから…1兆4,400億円。
交渉をまとめた当時の米国務長官ウィリアム・H・スワードは、当時のアメリカ国民からは「スワードの愚行」「巨大な冷蔵庫を買った男」などとクソミソにバッシングされました。
⇩「奴隷解放宣言」のための閣議を開くリンカーン大統領の絵。
右側の横顔の人物がスワード。
画像はWikipediaよりお借りしました。
「白熊しかいない動物園」というのもあったそうです。
しかしカリフォルニア州で起きていたゴールドラッシュ(1848年頃~)の流れから、アラスカでも土地調査が行われることになりました。
するとアラスカには石油、天然ガス、石炭等のエネルギー資源も金、銀、銅、亜鉛その他諸々の鉱物資源が豊富に埋まっていることが判明し、1896年からはアラスカン・ゴールドラッシュが始まります。
アラスカのあだ名は一転。
「巨大な冷蔵庫」から「世界一冷たい宝石箱」に代わり、安値で売ってしまったロシア帝国は大いに悔しがったのでした。
現在のアラスカ州のあだ名は「ラスト・フロンティア(最後の新天地)」もしくは「白夜の大地」です。
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