今日は何の日>4月3日:ペルー日本友好の日
昨年は「いんげん豆の日」をご紹介しました。
今年はこちらをご紹介いたします。
ペルー日本友好の日
ペルーは太平洋岸(コスタ)にプランテーション(大資本を投入し市場価値の高い単一作物だけを作る大規模農園)が点在します。
そこでは1854(嘉永7)年まで敷かれていた奴隷制度により、大勢の黒人奴隷が働かされていました。
奴隷制度廃止決定により労働力不足を案じた農園主は、まず欧州からの移民を求めます。
しかし欧州移民は当時経済成長著しかったアルゼンチンやブラジルを好み、ペルーは非常に不人気でした。
次にターゲットとなったのがアジア移民です。
まず1849年に大清帝国(当時)からの中国人農業労働者導入が議決。
以後25年間で約10万人の中国移民がペルー入りしました。
次にペルー政府は日本との間に日秘修交通商航海仮条約を締結。
森岡商会(森岡移民合名会社)が仲介役となり、日本人集団移民をペルーに送り始めます。
第一次集団移民は1899(明治32)年4月3日移に民船船「佐倉丸」でペルーのアンコン港に上陸。
ペルー政府がこの日を「ペルー日本友好の日」として記念日に制定しています。
佐倉丸画像はペルーニュースよりお借りしました。
1923(大正12)年に移民契約が廃止されるまでの24年間に、17.764人の日本人がペルーに移住しました。
現在ペルーの日系人人口は約10万人です。
ちなみに最も多くの日本人移民が渡ったのはブラジルで、約26万人が移住。
現在の日系ブラジル人人口は約200万人です。
日系ペルー人有名人
- 第54代大統領アルベルト・フジモリ氏
- その娘ケイコ・フジモリ氏と息子ケンジ・フジモリ氏(共に国会議員)
- サッカー選手エルネスト・アラカキ氏、ホルヘ・平野氏など
- 日本で歌手デビューしたエリック・フクサキ氏、アルベルト・シロマ氏
- 画家の故ティルサ・ツチヤ氏
ティルサ・ツチヤ氏は高い評価を受けながらも1984年に早逝された人物。
現在でも「20世紀のペルー美術に最も影響を与えた人物の一人」とされ、昨年暮れから流通を開始したペルー新紙幣の、最高額紙幣200ソルの肖像画に選ばれています。
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