散歩>武蔵野市~三鷹市②の⑴旧境村(現武蔵境)の歴史を少々
①から続いています。
武蔵境駅周辺にはいくつか古い寺社があります。
特に特徴的なのが南口バスロータリーからすぐの栄見山観音院と、少し南の杵築(きづき)神社です。
もともとこの地(旧境村)は徳川家の幕領地でした。
徳川家康の孫の一人で出雲松江藩主だった松平直政(まつだいらなおまさ/1648~1652)が下屋敷(別邸)を構えた場所です。
江戸時代、各地の大名は江戸に3つの屋敷を構えるのが普通でした。
<上屋敷>
藩主と奥方(正妻)とその子どもたちと江戸詰め(江戸常勤)藩士たちが住む。
藩主は参勤交代のため1年おきに領国の城(松江藩の場合は松江城)と江戸上屋敷に棲む。
しかし妻子は徳川幕府の命令で領国(地元)へは帰れず(つまり幕府の人質)ずっと上屋敷に住んだ。
松江藩上屋敷は赤坂御門内の一等地(家康の孫だもの)。
現在、跡地には衆議院議長公邸と参議院議長公邸が並んで建っています。
赤坂東急プラザ(旧赤坂プリンスホテル)と永田町駅の間のあの土地全部です。
<中屋敷>
隠居した先代藩主や、藩主の子どものうち元服(成人)済の男児(跡取り候補たち=次代藩主)が住んだ。
参勤交代で江戸にやって来る領国(地元)勤務の藩士たちの宿舎もここ。
<下屋敷>
別宅。
上屋敷や下屋敷で消費する野菜などを作る畑代として、またはトランクルームとしての下屋敷もあれば、景色の良い郊外に造られた別荘的な下屋敷もあったようです。
松平藩はこの境の下屋敷を鷹狩用として使用していました。
実は徳川家はこの境村一帯を御狩場(鷹狩用地)として所領していたのです。
松江藩の屋敷内には東側に杵築明神と稲荷明神が祀られ、西側には観音堂が建立されたと記録が残っています。
観音堂が今の栄見山観音院。
杵築明神は杵築神社、稲荷明神はそのままの名称で現在に至ります。
これらの寺社ついては②の⑵に続きます。
観音院の画像は武蔵野市観光機構より。
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