HSS型HSP🌏Millieの脳内世界

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It is getting hotter.
Be careful not to eat too much cold food.
This year's ducklings will hatch soon.
How many ducklings will we see ?

東京23区最後の秘境が消えつつある桐ヶ丘団地(北区)を歩く


東京都北区に桐ヶ丘団地という巨大団地(昭和の言葉でいうとマンモス団地)があります。


練馬区の光ヶ丘団地、板橋区の高島平団地と並び「東京23区最大級の団地」と呼ばれています。


光ヶ丘や高島平と同じく、戦後の住宅難解消のために造られました。


枠線内は「北区桐ヶ丘」の住居表示エリア。
これ全てが団地ではありません。


しかし団地建設後に高島平には都営三田線が、光ヶ丘には都営大江戸線が造られ交通が便利になったのに比べ、桐ヶ丘団地は今でも最寄りの駅からまんべんなく遠く、例えば赤羽駅からだと徒歩15~20分はかかります。



多くの人は赤羽までバスを使っています。


この地域をカバーするのは、埼玉南部から東京北部にかけてネットワークを持つ国際興業バス。


居住者以外が乗る路線とはあまり思えず、つまりに非居住者にとってはほぼ秘境。



そのためか光ヶ丘団地、高島平団地に比べると桐ヶ丘団地の知名度はいまひとつです。


そうそう、高島平団地は稲垣吾郎さんがご出身ということで全国に名が知れましたね。
桐ヶ丘団地ご出身の有名人は西村博之(ひろゆき)さんです。


先月半ばにその辺を歩きました。


隣接する赤羽台団地はUR、桐ヶ丘団地は都営住宅です。
桐ヶ丘団地だけで一時期は146棟5,000世帯もあったそうです。


とはいえ「秘境」とか「ディープゾーン」はたまた「昭和遺産」などと呼ばれるのは駅からの遠さだけではありません。


総面積45.9ヘクタールのこの土地は、団地建設前は旧帝国陸軍赤羽火薬庫でした。
戦後東京都がそれを整備して、1954(昭和29年)から都営団地建設に着手しました。


この団地内商店街「桐ヶ丘中央商店街」は、建設当時からテナントがほぼ変わっていないそうです。



足を踏み入れるとタイムスリップ感を味わえます。


 


シャッターの閉まった店も多い中、空いている店のご主人はもれなくご高齢。
その代わり物価もどこかで時が止まったかのように安い。


おもちゃ屋さんの店頭には、昭和の頃からあると思しき1回10円のゲーム機が置かれていました。


もはや骨董。
中野のまんだらけあたりに持ち込めば、ゲーム機本体が高額買取されそうな気がします。


 


現在は建替えが進み、一部はピカピカのエレベーター有りの建物になっています。


かつては146棟中145棟が5階以下の低層エレベーター無し(昭和20年代から40年代半ばまではそれが普通)だったそうです。


当初の入居者はほとんどが若夫婦と幼い子供たちでしたから、体力的にも問題なかったのでしょう。


現在は棟によっては1階が車椅子専用住居になっていたりするそうです。



👇建替え後のピカピカの棟。

 


建替え前の棟もまだたくさん残っています。

 


実は、エンドウ夫婦が訪れた直後の2022年11月22日(火)に「モヤモヤさまぁ~ず2」の「北なんだよ…北の聖地はやっぱりスゴかった」(赤羽特集)の時、この団地も紹介されたようなんですね。


 


なのでなんとなく記事を書きそびれていたのですが、3週間たったからまあいいかなと。


私自身は、世にいう団地マニアの方々には遠く及びませんが、こういう雰囲気が嫌いではありません。


実は建替え前にも訪れています。


建替えが進んで昭和の残り香が完全消滅する前にもう一度は行きたいです。