今日は何の日>8月19日:楊貴妃が玄宗帝の寵姫になった日
昨年は「俳句の日」をご紹介しました。
今年はこちらをご紹介いたします。
楊貴妃(ヤン グイフェイ)が玄宗帝の寵姫になった日
正確に言うと蜀の国(現在の四川省)の地方役人、楊玄琰の四女・楊玉環がに唐の玄宗帝の貴妃として迎えられ「楊貴妃」と呼ばれるようになった日です。
紀元745年8月19日と伝えられています。
貴妃は側室の中でも高位(皇后の次に偉い、側室の中のトップ)の者に対する尊称です。
玉環は幼い頃に親を亡くし、叔父の楊玄璬に引き取られます。
そして735(開元23)年(日本では奈良時代)に、その美貌を買われ玄宗の息子の妃として迎えられました。
しかし父の玄宗が玉環に一目惚れしてしまい、4年後に自分の後宮に入れてしまいます。
息子の嫁を横取りしちゃったわけですよ、この色ボケ親父。
最悪ですね。
玄宗皇帝と楊貴妃の画像はWikipediaよりお借りしました。
当時の中国では、女性は痩せて柳腰(骨盤周りがほっそりした)体型が美女と言われていました。
一方楊貴妃はかなりぽっちゃり体系で、ライバルの他の側室たちからは「デブのくせに」と言われたとか。
なるほど。
玄宗は今でいうところの〇〇専だった、と。
- 息子の嫁をぶんどる。
- 豊満趣味。
色々とマニアックな男だな、玄宗。
ひょっとしたらこんな感じだったんでしょうか、楊貴妃。
渡辺直美さんの画像は産経ニュースよりお借りしました。
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