今日は何の日>11月5日:予防医学デー
一昨年は「いい男の日」をご紹介しました。
昨年は「縁結びの日」をご紹介しました。
今年はこちらをご紹介いたします。
予防医学デー
北里大学北里研究所病院が制定。
「予防医学の父」「日本近代医学の父」「感染症学の巨星」等々と称される北里柴三郎博士が、1914(大正3)年に北里研究所を設立した日にちなむ。
北里柴三郎博士は1853(嘉永5)年熊本県の庄屋の家に生まれます。
まだ江戸時代だったため通ったのは私塾や藩校。
17歳で一旦教職に就くが翌年18歳で藩立西洋医学所(その後国立熊本医科大学を経て現在は国立熊本大学医学部)」に入学。
4年後22歳で東京医学校(現在の東大医学部)に入学するも、いわゆる従順な学生ではなく、教授論文を平気で批判したため嫌われて何度も留年させられたという話が残ります。
北里柴三郎博士より9歳年下の牧野富太郎博士も、東大では「小卒のくせに」と教授連中から嫌われてなかなか正職員になれませんでした。
最高学府とかなんとか言いながらもしっかり「出る杭は打ちまくる」ムラ社会だったんですね。
そういうわけで8年も東大に在学させられた北里柴三郎氏が、ようやく卒業したのは1883(明治16)年、30歳の時。
内務省衛生局に就職しました。
その6年後の1889(明治22)年に破傷風菌の純粋培養に成功。
翌1890(明治23)年に血清療法を開発します。
破傷風とは、 傷口に入り込んだ破傷風菌(tetanus)が毒素を放出することで、けいれん・呼吸困難・脳炎などの全身症状が現れ、死に至ります。
破傷風菌は世界中のあらゆる「その辺の土の中」に普通に生息する土壌菌で、どんな小さな傷口からでも感染します。
一旦発症すると、現在でも死亡率30%と言われる恐ろしい感染症です。
1950年の日本の統計では死亡率80%でした。
この破傷風の治療法の発見がアジアの後進国・日本で発見されたという事実は、欧米の医学者を震撼させたそうです。
北里柴三郎博士はさらにその4年後の1894(明治27)年にはペスト菌を発見します。
ペストはペスト菌(Yersinia pestis)感染に起因する全身性の侵襲性感染症です。
欧州ではたびたびパンデミックが繰り返され、1347~1351年のパンデミックでは当時の欧州人口の3分の1が死亡したと言われます。
当時の欧州ではペストは空気中を漂っていて、毛穴から体に入りこむと考えられていました。
欧州にはローマ風呂の流れをくむ公衆浴場がありましたが「入浴すると毛穴が開いてペストが入り込みやすくなる」という理由で、どんどん閉鎖されていきます。
「入浴は体に悪い」が常識とされ「風呂に入らない欧州人」が出来上がってしまいました。
それが「菌による感染症である。風呂は無関係」ということをこれまたアジアの後進国の日本人に発見されてしまったわけですから…。
1901 年の第1回ノーベル生理学・医学賞の選考会では「破傷風血清療法」で北里と共同研究者ベ ーリングの2名が共にノーベル賞の最終候補に挙がりましたが、 結果的にはノーベル生理 学・医学賞に選ばれたのはベーリング一人だけでした。
「研究の主力はベーリング。日本人はアシスタントに過ぎない」
と判断されてしまったと言われています。
実際は逆だったのですが、当時の欧米人には「白人のプライドにかけて認めたくない」事実だったのでしょうか。
来年2024年、1000円札のデザインが夏目漱石から北里柴三郎に変わる予定です。
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