原始的嫌悪感を無理矢理抑え込むのはやめましょう例え流行りの意識高い系の言葉で批判されようと
昨夜、東京の山手線車内で起きた包丁刺傷事件。
この犯人は目撃者によると「素足にスリッパ」だったそうです。
真冬に、素足にスリッパ。
ロングコートに、スリッパ。
上の記事中では「スリッパ」「サンダル」と表現が混在していますが、上の絵のような履き物は人によってスリッパともサンダルとも言います。
要はこのような履き物だった、と。
ここ数年「ありのままの私」だの「多様性」だの「ルッキズム」だのという声が大きくなりすぎて
「あの人は直感的にどこか変だ」
「見た目に違和感を感じるから、用心して距離を取ろう」
という本能的アラート(原始的嫌悪感)を、即座に忌避行動に移しにくい状況になっています。
だけど、自宅付近のゴミ集積所かコンビニならギリまだしも、真冬の山手線に「素足にスリッパ」で乗り込んでくるのは、やはり変です。
「変とは言い切れないかもしれないという理由を探す方が困難」
レベルに変だと思います。
私は普段から
「変な人が近くに来たと感じたら、実害がなくとも速攻離れる」
「疲れていてせっかく座れた席でも、躊躇せずに立つ」
「隣の車両に移動することを躊躇わない」
「何なら一度下車して次の電車に乗り換えることも厭わない」
を心掛けていますし、自分に言い聞かせております。
そういう私を気に入らない人たちからは
「はたから見てると、あなたのそういった行動こそが感じ悪いし、変」
「その程度で他人を避けてたら、東京23区内で電車やバスには乗れない」
「周りの良識のある人たちからは『こいつが一番変』って思われてるタイプだよね」
「そうそう、同意同意ww」
などなど散々言われ続けてきましたし、これからも言われるでしょうが、構いません。
嫌悪感とは生き延びるための行動免疫システムの一種です。
「避けたら気を悪くさせるかもしれない」
「周りに神経質な奴、と思われるかもしれない」
といった遠慮は、これからもしないようにしたいと、今回の事件を受けて改めて思いました。
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