今日は何の日>6月26日:雷記念日
一昨年は「露天風呂の日」をご紹介しました。
昨年は「国際麻薬乱用・不正取引防止デー」をご紹介しました。
今年はこちらをご紹介いたします。
雷記念日
制定者不明。
時は平安時代の延長8(西暦930)年6月26日。
平安京の清涼殿(天皇の日常の居所)に落雷。
時の大納言(現代の国務大臣に相当)・藤原清貫(ふじわらのきよつら)と右中大弁(みぎのなかのおおともい)平希世(たいらのまれよ)が被雷して感電死しました。
藤原清貫は胸部に直撃を受け即死、平希世は顔面に直撃を受け重傷を負い間もなく死亡したと伝わります。
清貫は菅原道真追放(右大臣から大宰府への左遷・無給)に関与していました。
人々は落雷そのものを、策略によって濡れ衣を着せられて左遷され、失意と困窮のうちに(何せ無給です)太宰府で没した菅原道真の怨霊の祟りだと噂し合いました。
「清涼殿落雷事件」です。
下は京都御所の清涼殿。
安政2(1855)年再建のもの。
この事件により菅原道真の名誉は回復されます。
濡れ衣だったからこそ恨むし、仕返しをしたに違いない➡名誉回復、という発想です。
その後も道真追放に関与したとされる高官たちの病死や不慮の事故死が相次ぎます。
当時の考えでは、怨霊はその怨念パワーが強大であればあるほど神格化されました。
「祟るほどの力を持つのはもはや神。恨み・祟りが強大であればあるほど、鎮めるために祀る」
という考え方です。
近代日本では「人を恨むのは自分のためにならない。許す人が偉いから許しましょう」という考えが主流となっています。
しかし江戸時代以前の日本人の考えでは「祟り殺すほどの精神力を持つ人は何寝入りする人よりずっと偉い」だったんですね。
仇討ち(あだうち)も合法化というか、むしろ奨励されてましたしね。
興味深いことです。
天暦元(947)年、道真はついに北野天満宮に祀られ、神となりました。
そしていつからか清涼殿落雷事件が起きた6月26日が「雷記念日」と言われるようになりました。
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