もし抗生物質(1928年発見)がもう少し早く発見されていたら
この記事から続いています。
宮沢賢治氏は37歳で急性肺炎で亡くなりました。
賢治氏の詩で有名な妹トシさんは24歳で結核で亡くなりました。
そのため私は、宮沢家に対しては何となく短命家系のイメージを持っていました。
しかし上の記事を書くために他の兄弟を調べたところ、二番目の妹さんは86歳・三番目の妹さんは66歳まで生き、弟さんに至っては98歳まで生きていらしたことがわかりました。
大変失礼いたしました。
DNAに書き込まれ済みの人間の自然寿命は
ところで、現生人類ホモ・サピエンスの自然寿命は38歳であることがDNA解析で判明した、という説が2019年に発表されました。
2023年のデータではWHO加盟国の全体平均寿命は約72.5歳と言われています。
72(実際の平均寿命)‐ 38(DNAに書き込まれた予定寿命)=34年。
これは医学や生活様式の進歩によって、つまり科学と化学のチカラ技で延命している部分だとその説は言います。
宮沢賢治氏の直接の死因は急性肺炎です。
賢治氏が亡くなった1930年代(昭和5年~15年)当時、「肺炎及び気管支炎」は日本の死亡原因の第2位でした(厚生労働省データ)。
貧困に起因した過労や栄養失調、医療の未発達、抗生物質の未発見、また国民皆保険ではなかったことなどが肺炎による死亡者が多かった原因とされます。
現在肺炎治療に使われるのは抗生物質です。
世界初の抗生物質であるペニシリンは、賢治の死の5年前の1928(昭和3)年にイギリスの細菌学者アレクサンダー・フレミング(Sir Alexander Fleming/1881〜1955年)が発見していました。
※Sir:1944年にペニシリン発見の業績によりナイト(勲爵士)に叙せられました。

しかし日本にペニシリンの情報がもたらされたのは、発見から15年が過ぎた1943(昭和18)年12月。
同盟国・ドイツの潜水艦が運んできた医学雑誌に掲載されていたペニシリンの論文を日本陸軍の軍医が読み、翌年の1944(昭和19)年2月にペニシリン研究を開始。
同年11月に開発に成功、12月に工場での製造に成功、1945(昭和20)年5月から実用化されたというものです。
「チョコレートは明治」のあの明治も、終戦直後から抗生物質の工場製造に参画しています。
宮沢賢治氏の死因も直接は急性肺炎ですが、過労や生活環境不良と栄養失調が指摘されてきました。
奇しくもほぼホモ・サピエンスの自然寿命通りに亡くなってしまった宮沢賢治氏。
もしもう少し早くペニシリンが発見され、日本でも実用化されていたら。
もし賢治氏が弟さん並の長寿を得ていたら、日本の文学界は変わったのでしょうか?


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