HSS型HSP🌏Millieの脳内世界

いらっしゃいませ。お好きな記事へどうぞ。

   

It is getting hotter.
Be careful not to eat too much cold food.
This year's ducklings will hatch soon.
How many ducklings will we see ?

クイズ>解答:マリー・アントワネットってここの人!


<問題>

マリー・アントワネット(1755~1793)って、なに人(どこの国の出身の人)でしたっけ?

<選択肢>

❶フランスの公爵の姫君だからフランス人。

❷プロイセン王国の姫君だからドイツ人。

❸オーストリア帝国の姫君だからオーストリア人。

❹ハンガリー帝国の姫君だからハンガリー人。

❺神聖ローマ帝国の姫君だからイタリア人。

<解答>

❸オーストリア帝国の姫君だからオーストリア人。



ハプスブルク帝国のオーストリア大公ハプスブルク家の姫君です。


ハプスブルク家はもともとオーストリア家という名前でしたが、11世紀初頭に現在のスイスにハプスブルク城を建ててからハプスブルク家を名乗るようになりました。


つまり今も続くオーストリアという国名は、元はこの一族の名前でした。


マリーのドイツ語(オーストリアの公用語)名はマリア・アントーニア・ヨーゼファ・ヨハンナ・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン。


フランスのブルボン王家に輿入れしたために、フランス風にマリー=アントワネット=ジョゼフ=ジャンヌと呼ばれるようになりました。


母親は女帝マリア・テレジア。
フルネームはマリア・テレジア・ヴァルブルガ・アマーリア・クリスティーナ・フォン・エスターライヒ。


予定ではフランスに嫁ぐのはマリア・アントーニアのすぐ上の姉マリア・カロリーナでした。


しかしナポリ王家に嫁ぐ予定だった別の姉マリア・ヨーゼファ(マリアばっかりで混乱するわ~)が、結婚直前にまさかの急死。


急遽マリア・カロリーナが代役でナポリに嫁ぐことなり、フランス行きの代役がまだ14歳だったマリア・アントーニアに回ってきたのでした。


ナポリに嫁いだマリア・カロリーナもナポレオン一世とゴタゴタ揉めたりして晩年はあまり幸福ではなかったようですが、それでも62歳で病没するまで生きました。


一方マリア・アントーニアは、繰り上がりでフランスに嫁いだばかりに37歳で処刑されるはめに。


運命って、わからないものですね。


女帝マリア・テレジア(ハプスブルグ家の継承者※)と入り婿のフランツ一世(マリア・アントーニアの両親)は恋愛結婚だったそうですよ。


※ハプスブルグ家は本来は男子相続だったが、マリア・テレジアの代では男子が生まれなかったため。



<回答者12名中正解者9名>


❶フランス人   1票

❷ドイツ人    0票

❸オーストリア人 9票

❹ハンガリー人  1票

❺イタリア人   0票

その他※     1票


※オーストリアをオーストラリアとミスタイプした方。

・・・惜しすぎる。残念。


正解率、高杉晋作。


くそおおおおおお。(本性出し過ぎだってーの)


<回答者様発表>


🌹みなつ     様

🌹エンディミオン 様

🌹さちこ     様

 Carino     様

 トムママ    様

🌹ton        様

🌹しろ         様

🌹まりん     様

🌹mammal    様

🌹レモン     様

 はっち     様

🌹にゃん     様


ご参加いただきありがとうございました!!


次回もまたよろしくお願いします。


それから、問題記事でチラッとご紹介したライトノベル「マリー・アントワネットの日記」
(吉川トリコ)にご興味の湧かれた方は、どうぞ。


マリーアントワネットの日記Ⅰ&Ⅱ
 


ベルサイユのゆり(番外)