あらためてマリーアントワネットを考察する:結婚ガチャと嫁いびり
最初のうちは「賛否両論」とか書きながらも実際は
「衝撃的だけど、さすがフランス」
「斬新だ、さすがフランス」
「日本人には絶対できないことをやる、さすがフランス」
「攻めの姿勢がカッコいい、さすがフランス」
「これを見せられると東京五輪の開会式がますます恥に思える、さすがフランス」
といった「おフランスは無条件にべた褒めざんす」系の賛(ついでに日本下げ)の意見ばかりが意図的に日本メディアでは紹介されました。
すると必ず「同じように言わないと置いて行かれる」と焦るのが、流行大好き日本人。
焦った人たちが「よくわからないけどさすがフランス」「とにかくさすがフランス」と追加砲をドカドカ繰り出してお追従一色になったので、初見から拒否反応しか覚えなかった私にはひどく不気味でした。
ですが、少し遅れて現地で上がっている失望の声や、オーストリア(マリー・アントワネットはオーストリア人※)からの反発の声が報道され始めると・・・
※マリア・アントーニア・アンナ・ジョゼファ・ジョアナ・フォン・ハプスブルグ=ロートリンゲン。
一転して「賛否の否の方」の投稿が日本人のSNSにも増えてきました。
いつもの傾向ですね…。
アントワネットはオーストリアのハプスブルグ家の家系。
女帝マリア・テレジアが16人も生んだ子供の一人。
第15子(11女・末娘)でした。
11女全員が政略結婚の駒に使われたのかと思っていましたが、調べたらそうでもなかった。
長女と三女、七女は幼児期に死亡。
八女と九女は成人前に死亡。
次女は先天性障害を持っていたため生涯独身。
四女はポーランド王の息子、テシェン公爵妃に。 (政略結婚1⃣)
五女は天然痘の後遺症で美貌を失ったため生涯独身。
六女はイタリアのパルマ公爵妃に。 (政略結婚2⃣)
十女はナポリ国王妃に。 (政略結婚3⃣)
十一女(アントワネット)はフランス王妃に。 (政略結婚4⃣)
なにせ幼児死亡率の高かった時代です。
11女中成人できた子が6人。
先天障害や病気の後遺症で結婚できなかった子が2人。
残ったわずか4人が他国元首の妃になっています。
(公爵は公国の元首)
当初は十女マリア・カロリーナがフランスに、九女マリア・ヨーゼファがナポリに嫁ぐ予定でした。
しかし九女が結婚式直前に急逝したため、マリア・カロリーナがナポリに嫁ぐことになりました。
政略結婚ですから何が何でも強行されます。
アントワネットはその時まだ11歳だったので、ナポリ行きの大打者は14歳だったマリア・カロリーナしかいませんでした。
すると娘はアントワネットしか残らないので、自動的にフランス行きが回ってきます。
つまりアントワネットがわずか14歳でフランスに嫁がされ、紆余曲折を経て斬首刑になったのは
「結婚ガチャで外れをひいたから」
とも言えます。
今は結婚に失敗した場合、例え相手有責でも「自分で選んだ相手だから自己責任」と叩く風潮があります。
しかしアントワネットの場合、自分で選んでもいない。
九女マリア・ヨーゼファが死ななければ、アントワネットはおそらくどこかの公爵(公国元首)にでも嫁いでその当時の平均的貴族の人生を送っていたでしょう。
アントワネットは強引にひと言でまとめれば「贅沢をした」ことを断罪されて処刑されています。
しかしアントワネットが一人で贅沢をしたわけでもないでしょう。
ブルボン王家及び周りの貴族が代々贅沢をしてきたツケをかぶり、夫ルイ16世と二人だけで責任を取らされたような形です。
しかもルイ16世も同じく斬首刑になっているのに、死後230年も経ってから生首ネタに引きずり出されるのはアントワネットだけ。
彼女だけがことさら悪者にされるのは
「オーストリア人(外国人)がフランスの金を湯水のように使いやがった」
という感情が根底にあるためだとも言われます。
こちらも強引にひと言でまとめれば「国家を挙げた嫁いびり」。
フランスはドイツ(オーストリアもドイツ文化圏)をことさら嫌う傾向がありますから。
アントワネットの実家、ハプスブルク=ロートリンゲン家は今でも存続しています。
現当主は、最後のオーストリア皇帝カール1世の孫にあたるカール・ハプスブルク=ロートリンゲン氏63歳。
現役で国際汎ヨーロッパ連合オーストリア支部長です。
11歳のマリア・テレジア(左)と少女期のアントワネット(右・正確な年齢不明)画像はWikipediaよりお借りしました。
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